2022-01-01から1年間の記事一覧
マリコ母さんが、コーヒーのおかわりを注ぎにきた。『ごゆるりブレンド』は長居したいお客さんへのサービスで、マグカップに3杯までおかわりできた。3杯まで、というのはお客さんの胃をいたわってのことらしい。ミユキ先生が言っていた。 今、俺たちが『ご…
ピエールさんが『丸くなってる猫』みたいだ、と言ったシュークリームは少し固めに仕上げたカスタードクリームがどっしりと入っていて、生地はしっとりとしていた。 ばあちゃんの家の近所で、おじさんとおばさんが2人でやっているパン屋さんのシュークリーム…
キョウコが大きなマグカップを両手で包むようにして、持ちながら言う。 『このお豆、家にもあるんだけど、自分で淹れたらママのと全然ちがう味になっちゃうのよね』 『そりゃあ、母さんはプロだもの。仕方ないよ』 とヒロキ。 『そうなんだけど、なんていう…
きょうは授業でクッキーを作った。 『たいせつな人にプレゼントしたい』をテーマにレシピを考えてこい、というのが課題だった。 俺が作ったのは、かぼちゃのぜんざいをイメージしたやわらかいクッキーだ。 ばあちゃん子の俺は、ずっと、和風のおやつで育って…
ランチタイムの後、ちょっと一息。午後のお客さんが来るまで座ってコーヒーを。ジャムの空き瓶に100円玉を入れて『栗の町ブレンド』を挽く。これはメニューには載せていない。会ったことはないけれど、マリコさんのお店の店長をしているサトルさん特製のブレ…
雑誌の広告のページに、目が留まる。テレビでもよく見かけるこの女優さんは、家にも何度か遊びに来たことがある。華がある看板女優さんで、劇団時代はヨシコと一番親しくしていた。 ヨシコが劇団を辞めたのは、この女優さんとの意見の食い違いからだった。野…
ヨシコと私はミユキさんとは、コマーシャル動画の撮影のときを含めてまだ2回しかお会いしたことがない。 だけど、ヨシコとミユキさんはお互いを『心の友』と呼び合う。わずかな言葉のやりとりだけでも、相性がわかることってあるものなのね。初めて会った日…
カルチャースクールの生徒さんらしき2人連れの女性がまた何組か、続けて入って来た。 そのうちの1組みが最近、お店の奥の方に置くようになった木製のライティングデスクの方に寄って行った。 『これじゃない? ブリママが動画でコマーシャルしてた手紙セッ…
サトルちゃんがカウンターから出て、私の前に葡萄の柄のポットと温めたお揃いのカップを置いた。そして、ステンレス製の綺麗なお皿に載せたマドレーヌも。 『タツオの自信作ですよ。食べてみてください』 サトルちゃんは、横浜からこの町に移住してきたパテ…
皆様、ごきげんよう。ティピカです。常連さんのイネコさんが持ってきた1冊の本が、意外な役割を演じることになりました。 『ママ、見て。この写真集、父が買ってきたの。父は私が猫好きだから、ネコちゃんって呼ばれているって勘違いしているのよね』 私の…
ヨシコはサトルが注いだブランデーを美味しそうに飲みながら、言った。 『ねぇねぇ、私、コマーシャルに出演することになったのよ』 飲みかけていたブランデーが、喉にささったような気がして、咳き込む。コマーシャルだって? ヨシコは俺の様子を見て 『ふ…
物心がついた頃にはもう、サトルとヨシコは俺と行動を共にしていた。長年連れ添った夫婦がよく、お互いを『空気のような存在だ』と言うけれど、妻よりも長い付き合いな訳だ。サトルと2人、閉店後の喫茶店でカウンターを挟んで何も話さずに、コーヒーを片手…
引き戸がカラカラと音を立てる。ケーキ屋のタツオだ。 『サトルさん、こんばんはー。うちの店から明かりが見えたから、まだ居るかな、と思って来ちゃいましたぁ。あ、ユウキさんも一緒なんですね。お邪魔しまーす』 『おう、どうした? まあ、座れよ。何か飲…
サトルが表に出しているボードを片付けに、店から出てきた。ちょうどいい。 『おう、お疲れ。一緒にどうだ?』 出来たてのおにぎりが入った紙袋を差し出す。 『ヨシコのおにぎりか。中身は何だ?』 『たらこと昆布と、栗ごはんもあるぞ』 『まあ、寄っていけ…
ミユキさんはカウンターにずらりと並んだ箱を眺めて、溜息をついた。 『それにしても、この数は尋常じゃないわよね。よく、猫絡みのものをこれだけ集めたものだわ』 閉店時間後、食器を夏らしいものから、秋に似合うものに変更することに。この秋に使うお皿…
お店の奥の方を見て、お兄ちゃんが小さな声で言う。『マリコさんが思っているのは、ああいう人かな?』その視線を辿ると女の人がひとり、老舗のものらしい万年筆を手に、ときどき微笑みを浮かべながら便箋に何かを綴っている。私たちは少しの間、その様子を…
ミユキさんが『乙女』と評したこのお店の小ぶりな玉子サンドでは、お兄ちゃんのお腹は満たされていないようだ。視線に気付いたスタッフさんがオーダーを取りに来てくれた。フリルのついたエプロンが、とても似合っている人だな。 『ゴルゴンゾーラのホットサ…
ミユキさんがお兄ちゃんの前に、3枚の名刺サイズの茶色いカードを並べる。 『手品でも始めるの?』 『違うわよ。トモノリさん、この3色の見分けがつけられる?』 『3色? みんな同じ色だよね?』 お兄ちゃんにとっての色の数は、小学校のときの24色の色鉛…
今のマンションに住み始めてから、10年近くが経つけれど、側にこんなお店があったとは知らなかった。サンドイッチが美味しい喫茶店、コーヒーは自家焙煎だって。ミユキさんがお兄ちゃんに言う。 『まさか、トモノリさんにこんな乙女なお店に案内してもらえる…
皆様、ごきげんよう。ティピカです。今頃の時期になると、人間たちは『夏休み』といってほんの数週間のあいだ仕事や学校から離れるようです。どうも、人間たちは私たち猫のようにゆったりとくつろぐことが上手ではないように思えてなりません。せめて『夏休…
ミユキちゃんは喫茶店に来ると、よく 『やっぱり、人に淹れてもらうコーヒーは美味しいわねぇ』 と目を細める。その表情はマリコ母さんが膝の上の猫を撫でているときの顔と、よく似ている。そんなミユキちゃんだって、マリコ母さんに『巻き込まれている』と…
ミユキちゃんの話によると、マリコ母さんは猫をテーマにした刺繍の展覧会を観るために、その町を訪れた。そして、会場になっていた小さなギャラリーの前で、濃いグレーの大きな猫が丸くなって寝ているのを見つけた。マリコ母さんには、その猫が『ごまのおは…
ミユキちゃんは僕のメロンショートケーキをじっと見て 『それも美味しそう。ピーチタルトと半分こずつしようよ』 と言った。僕は子どもの頃、両親の仕事の都合でミユキちゃんの家や他の親戚の家で過ごす時間の方が多かった。なので、ミユキちゃんと1つの料…
僕が紙袋を差し出すと、ミユキちゃんは目を丸くした。そして中のものを見ると大笑いし始めた。 『ミユキちゃん、声、大きいよ』 『だって、だって』 ミユキちゃんは涙を流して笑い続けている。他のテーブルのお客さんたちが何事だろう、とこちらを見ている。…
モーニングのお客さんを皆さんお見送りした後、ドアに『本日貸切』の貼り紙を貼る。 テーブルを並べ変えて大きくつなげて、テーブルクロスを掛ける。『何だか、小学校のお楽しみ会を思い出すわね』 『ティッシュで作ったお花とか、紙テープの飾りが似合いそ…
先生は2杯目も『黒松ブレンド』にした。どんな味か気になるので、私も同じものにした。妹にだったら『ひとくち頂戴』と言えるのだけれどね。運ばれてきてすぐに、先生はコーヒーのカップを手にとった。そして、ひとくち飲んで美味しそうに微笑んだ。先生を…
タケオ先生が、美しい羊羹を口に運ぶ様子を眺める。先生は本当に所作がきれい。私もつられて、いつもよりもあんぱんを細かくちぎる。 『小豆とコーヒーって、意外と合うものですね。マメなもの同士、相性がいいのかな』小豆のお豆とコーヒーのお豆をかけた駄…
猫の貼り紙に見入っている先生の後ろ姿を、眺める。背筋がすらりと伸びていて、それでいながら柔和さも感じさせるような。迷子になってしまった猫を見つけるためのポスターなので、目立たないと意味がない。だけど、せめてあのオムライスのような色使いでは…
方向音痴の妹のおかげで、偶然みつけた住宅街の中の喫茶店。漆喰の壁に、障子、ぎらぎらしていない落ち着いた内装がとても気に入っている。お天気のよい日には、照明は点けずに障子越しのおひさまだけ。女友達とお喋りをするときには、絶対に選ばないお店だ…
皆様、ごきげんよう。ティピカです。毎朝、店にコーヒーを飲みに来てくれる仲良しのお蕎麦屋さんの奥さんが帰ったので、私は松の木に登って町を眺めています。この松は相棒のジュンコが植えたもので、ここからの景色はなかなかによいものです。今頃はクロー…