ことのはカフェ

カフェに纏わる由なしごとをそこはかとなく綴ります。

ティピカちゃんねる 2

皆様、ごきげんよう。ティピカです。毎朝、店にコーヒーを飲みに来てくれる仲良しのお蕎麦屋さんの奥さんが帰ったので、私は松の木に登って町を眺めています。

この松は相棒のジュンコが植えたもので、ここからの景色はなかなかによいものです。今頃はクローバーが豊かに生い茂っています。人間は四つ葉のクローバーが好きだと聞いていましたので、1度、ジュンコのために探してみましたが、なかなか見つけられずに、つい眠ってしまいました。また、いつか探してみましょう。

おや、猫が歩いてきました。この辺では見かけない顔ですね。私よりはずいぶんと若い雄のようです。肩で風を切る、そんな言葉が似合いますね。若者らしくて、微笑ましいです。

あ、イネコさんの姿が見えてきました。ちょっと下に降りましょうか。

『あら、ティピカさん。待っててくれたの?』
イネコさんと一緒に店の中へ。
『ネコちゃん、寝坊? めずらしいわね』
ジュンコがイネコさんに話しかけます。
『夜中にね、ララさんと長電話しちゃったの』
ララさん、ルリコさんのことですね。仲良しなら、この店にも一緒に来るとよいのに、2人の間には『イネコさんは朝、ルリコさんは午後から』という暗黙の了解があるようです。

『散歩してたら、猫同士が喧嘩していたらしいの。それをポラロイドカメラでずっと、写していたんですって』
『まあ、よく撮らせてくれたわね』
『なかなかドラマチックな展開だったみたいなの。結局、仲直りしたみたい。岩合さんの弟子にしてもらえるかしら? なんて言ってたわ』
ジュンコはクスクス笑いながら
『ルリコさんらしいわね』
と言っています。

イネコさんがシナモンロールを注文したので、私はちょっと外の空気を吸いにいきましょう。どうも、このシナモンというのが私は得意ではないのです。

おひさまが背中をぽかぽかと照らしてくださいます。ああ、気持ちがいい。うとうとしていると、誰かが近づいてくる気配がします。猫ですね。薄目をあけてみると、この辺のボス猫のトラゾウ君とさっきの若い雄が連れだって歩いてきます。
『ティピカの父さん、おはようさん』
『やあ、トラゾウ君。おはよう』
『ほら、ユキ、ティピカの父さんに挨拶をしろ』
『どうも。ユキです』
『ユキ君、よろしく。私はティピカです。そこの喫茶店に住んでいます』
『父さん、すみませんね。どうも訳ありみたいで、猫の社会に慣れてない奴なんです』
トラゾウ君が頭を下げる。

ルリコさんが写真を撮った『喧嘩していた猫』とは、このふたりではないか、という気がしました。トラゾウ君は短気だけれど、面倒見はいい性質なので、まかせておけばユキ君もこの町に馴染んでいけることでしょう。
『じゃあ、父さん、また後で。これからミケコ姉さんのところにも行ってきます』

ふたりを見送って、また松の木に登ります。蕎麦畑では、白い花が見事に咲いています。畑のまわりに人だかりができていますね。何事でしょうか。耳を澄ませると、ざわざわとこんな声が。

『あ、こっち見たぞ。かわいいなあ。俺、きょう4時に起きたよ』
『新曲のダンス、カッコいいよね』
『きのう、駅前のそば屋さんにいたらしいよ』
『サインもらえるかなぁ?』
『あしたは温泉でも、撮影があるんだって』


テレビの撮影でアイドルの女の子が来ているようですね。ジュンコはこの町に引っ越してくるときにはテレビを持ってきませんでしたので、私は最近のアイドルの名前がさっぱりわからなくなりました。

イネコさんが出てきましたね。シナモンがここまで匂ってきます。なので、きょうは木の上からお見送りしましょうか。『イネコさーん、またあしたお待ちしてまーす!』
イネコさんが気づいて、手を振ってくれます。
『ティピカさん、特等席にいるのね。また、あしたね』

イネコさんの後ろ姿が小さくなると、シナモンの匂いもだんだんと薄らいできました。やれやれ。松の木からするりと降りて、気分転換にちょっとダンスでも。最近のアイドル事情には、すっかり疎くなってしまいましたが、ずっと前のマユちゃんのダンスなら私だっておぼえていますよ。

右手、左足、しっぽ…と、アイドルの女の子にしっぽはありませんね。ララララー、なかなかいい調子ですよ。左手、右足、ここでジャンプ! 決まりましたね。満足、満足。

『ティピカ、おはよう』
ハッとして振り返ると、そこにはルリコさんが。もしかして、私のダンスを見ていましたか? どうしましょう、恥ずかしいです。いいオジサンがアイドルのダンスをノリノリで。そうです、こういうときには毛づくろい、毛づくろい。

『あら、照れなくてもいいのよ。ダンス、決まってたわよ。カメラも持ってたら、よかったわね』
そう言って、ルリコさんは私にウインクしました。冗談じゃありません、ダンスの写真など、撮られては、かないませんよ。ルリコさんは『ふふふ』と笑って、店に入って行きました。私もルリコさんの後について店に。

『ルリコさん、ずいぶん早いのね』
『キティーはきょうは来ていないの?』
『ネコちゃんなら、さっき帰ったところよ』
『きのうね、なかなかよい写真が撮れたから、キティーにも見せようと思って持ってきたのよ』

ルリコさんはイネコさんを『キティー』と呼んで、イネコさんはルリコさんを『ララさん』と呼んでいます。子どもの頃『グランマ』と上手に言えなかったイネコさんのために考えた呼び方だそうです。『おばあちゃん』と『イネコ』だと、2人の空気感は出せないみたいですね。

『もしかして、猫の喧嘩の?』
『そうなの。キティーから聞いた? ほら、これなの。ジュンコさんも見て』
ジュンコの肩越しに覗くと、案の定トラゾウ君とユキ君の姿が。ユキ君、なかなか威勢がいいです。だけど、トラゾウ君もさすがの風格。喧嘩の後でふたりが肩を並べて座っている写真は、私が見ても少し感動してしまいます。

ルリコさんは満足そうに、エスプレッソを味わっているようです。
『岩合さんに弟子入りするんでしょ?』
ジュンコがそんな冗談を言っています。ルリコさんは真面目な顔で答えました。
『私も、せっかくのシャッターチャンスを逃すようではまだまだだわ。ねえ、ティピカ』

ルリコさん、あのことはジュンコには秘密に願いますよ。決まりが悪いので、私はちょっとだけ寝ることにしましょう。