ことのはカフェ

カフェに纏わる由なしごとをそこはかとなく綴ります。

カホコさん 1

方向音痴の妹のおかげで、偶然みつけた住宅街の中の喫茶店。漆喰の壁に、障子、ぎらぎらしていない落ち着いた内装がとても気に入っている。お天気のよい日には、照明は点けずに障子越しのおひさまだけ。女友達とお喋りをするときには、絶対に選ばないお店だ。例えば、自分と静かに向かい合いたいとき、そんなときに来たくなるところ。そこに、思い切ってタケオ先生を誘ってみた。

タケオ先生が、この町に来るのは半年に1度だけ。先生のオフィスはここからはかなりの距離があるので、来るときには必ず泊まりがけだ。先生のニット作品に憧れて、講習会に参加するようになった。講習会はいつも満員で、先生のファンはたくさんいる。だけど、私の誘いにも気さくに応じてくれた。

『閑静で、素敵なお店ですね。こんなお店を知っているカホコさんも素敵ですよ』
なんて、言われてみたーい! そう思って講習会の後に声をかけたのが、きのう。そして、駅前で待ち合わせをして色々なお家のお庭に咲いているお花を眺めながら一緒に歩いている。今すれ違ったスーパーのレジ袋を提げたお母さんは、私達のことを近所に住む夫婦だと思っているかもしれない。そんな考えが浮かんで、頬がゆるむ。


『先生、こちらです』
店の扉を開けて中へ。いつも静けさと、コーヒーの匂いがそっと迎えてくれる。え、嘘でしょ? 落ち着いた白い漆喰の壁一面には、こちらを睨みつけるような顔をした猫のポスターが、べたべたと貼られている。何これ? せっかくの美しい壁になんてことを。

よく見ると『猫をさがしています』の文字が。
迷子の猫か。私の妄想も迷子になっちゃったかも。タケオ先生は特に気にする風もなく、にこやかにしている。私達は一番奥の席に座った。
気を取り直して、葉っぱが漉き込まれた和紙のメニュー表を先生の方に向ける。

『わー、達筆ですね』
先生はメニューの内容ではなく、メニューを書いている筆文字の方に興味があるみたい。私もペン習字でも始めようかな。
『白樺ブレンド、欅ブレンド、杠葉ブレンドブレンドコーヒーには皆、木の名前がつけられているんですね。面白いな。僕は黒松ブレンドにします』
『先生、何かお茶請けはいかがですか? このお店はあんこを使ったお菓子が美味しいですよ』
先生のきれいな指がメニュー表の文字を辿る。
桜あんぱん、よもぎあんぱん、あずき鹿の子、この店ではあんぱんが漆塗りのお皿に載せられて出てくる。そのお皿もとても、素敵だ。

『そうですか。じゃあ、小倉羊羹を。カホコさんは何にしますか?』
『私は桜あんぱんと欅ブレンドにします』
羊羹か、ちょっと意外。小学校のときの教頭先生を思い出す。家が近所だったので、ときどき遊びに行っていた。奥さんがいつもほうじ茶と羊羹を出してくれた。

タケオ先生は、道中にあった楽しいできごとなど、静かな口調で話してくれている。だけど、私は緊張しているのと、睨みつけるような顔の猫の貼り紙が気になっているのとで、今ひとつ先生の話に集中しきれずにいた。そのとき、先生がぴったりと話をやめて私をジッと見た。もしかして、気を悪くした?

そう思って先生を見つめると、先生が意外な言葉を切り出した。
『この猫、ユキ君だよね。時々、テレビにも出ていますよね。この間は、写真集も出した筈ですよ』
後ろを振り向くと、そこにも睨みつけるような猫の顔が。なんだ、私を見つめていたわけじゃないのね。がっかりしたような、ほっとしたような。先生は席を立って、貼り紙を見に行った。