ことのはカフェ

カフェに纏わる由なしごとをそこはかとなく綴ります。

ティピカちゃんねる 4

皆様、ごきげんよう。ティピカです。常連さんのイネコさんが持ってきた1冊の本が、意外な役割を演じることになりました。

『ママ、見て。この写真集、父が買ってきたの。父は私が猫好きだから、ネコちゃんって呼ばれているって勘違いしているのよね』

私の相棒のジュンコはコーヒー豆を挽きながら、写真集に目を向けます。

『笑って、ユキくん? この猫、ユキくんっていうのね。怒っているみたいな顔してるけど』

 

ユキくん? 気になったので、私も覗かせてもらいますよ。表紙には手書き風の文字で『笑って、ユキくん』というタイトルがあります。そして、そこに写っているのは最近、すっかりこの町にも馴染んできたあのユキくん! 『ジュンコ、ジュンコ、これは僕たちと一緒に遊んでいる、あのユキくんだよ』

『ティピカさんも、猫のことだから、気になるのね。ティピカさんもハンサムだから、写真集出せるかもよ』

イネコさん、お褒めにあずかり恐縮です。だけど、私、目立つのはあまり得意ではないのですよ。

『ティッティ、どうしたの? 大きな声出して。珍しいわね』

『だから、あのユキくんだよって』私たち猫には人間の言葉が、ちゃんとわかるんですけどねぇ。やれやれ。

 

私の動揺を知らないイネコさんは呑気な顔でクロワッサンにかじりつき、カフェオレを飲んでいます。ジュンコはパラパラと写真集を捲っています。そして、ふと

『あら、この子、よく見たら、前にルリコさんが撮った猫と似てない?』

やっと、気付いたようですね。鈍いなぁ、ジュンコは。しっぽで『そうだよ、そうだよ』と合図をしてあげます。

『え? あのボス猫と喧嘩した子?』

『ほら、この顔』

『そうかしら? こんな模様の猫って、よくいるわよ』

人間からは同じ模様に見えてしまうとは、驚きですね。ユキくんは私たちの間では、かなりのお洒落さんなのですよ。

イネコさんはカフェオレを飲み終えると

『この写真集、置いて行くね。ララさんにも見せてあげたいの』

と言って、店を出て行きました。

 

イネコさんと入れ替わるように、酒屋さんのお兄さんが入ってきました。

『よう、ティピカ。ママ、チーズトーストと、深煎りモカ。何それ? 猫の写真集?』

お兄さんも覗き込みます。

『これ、テレビによく出てる猫だよね。うちの娘が見てたな。今、行方不明らしいよ。飼い主が一生懸命さがしているって』

 

うちには今、テレビがありません。ですから、すっかり流行には疎くなってしまいましたよ。

『この猫、最近よく遊びにくる猫に似てるのよね』

『まさか、猫の足でこんな遠くまでは来ないでしょう』

お兄さんの言うのも、ごもっとも。だけど、どう見ても、あのユキくんです。誰か猫の言葉をちゃんと通訳できる人間は、いないものですかね? 何とか、この会話に参加したいのですけど。

 

 

カランコロン、とドアベルの音がして、目が覚めました。ルリコさん、いらっしゃい。

『いらっしゃい。ネコちゃんがこれをララさんにも見せてあげたい、って』

『あら、この猫、私がこの前撮った猫みたい』

『やっぱり、そう思うでしょ?』

 

さっき、うとうとしながら聞いていた酒屋さんのお兄さんの話によると、ユキくんは雑誌の表紙に登場したのがきっかけで人気が出始めて、テレビにも出るようになったそうです。そして写真集まで発売されましたが、その後しばらくして行方不明になってしまいました。誘拐されたのでは? という物騒な噂も流れているようです。

 

誘拐説は違いますね。この町でのユキくんは楽しそうです。最近、彼女さんもできましたよ。そして、顔つきが以前よりもずっとずっと、柔らかくなりました。写真集の中みたいに睨みつけるような顔はしなくなりましたよ。ユキくんのお家の皆さーん、ユキくんは元気ですよー。安心してくださいね。

 

『ティピカ、ふだんはおとなしいのに、ずいぶんニャーニャー言うわね』

『そうなの。この写真集を見てから、ずっとこうなのよ』

 

初めて会ったときからユキくんには何やらわけがありそうでしたが、詮索するのはやめようと思っていました。ですが、遠い町で家族さんたちが探しているとなると、放っておくのもいかがなものかと。ミケコちゃんなら、何か事情を知っているかもしれませんね。ちょっと聞きに行きましょうか。

 

ミケコちゃんのところに行こうとすると、話題のユキくんが向こうから歩いて来ましたよ。しっぽをピンとさせて

『よう、ティピカのおっさん』

と、ご機嫌なようです。

『やあ、ユキくん。ちょっと話そうか』

私たちは並んで、松の木のところに。

『なんだい? 改まって』

『ユキくん、写真集、見たよ』

ユキくんの顔色が、さっと変わります。

少し間を置いて、毛づくろいを始めます。

『そっか、見られっちまったか。ここの誰にも言ってなかったんだけどな』

ユキくんは頻りに毛づくろいをしています。そして、話し始めました。

『俺さ、テレビの仕事、してたんだよ。だけど、どうも馴染まなくてね。かっこ悪い言い方をするなら、ここに逃げてきたっていう訳さ。ちょうど地方ロケに向かう車があったんだよ。こっそりそれに乗って、たどり着いたのがこの町だったんだ』

 

私も毛づくろいが、したくなりました。ユキくんが手伝ってくれます。

『ああ、ありがとう。大丈夫だよ』

いい子なんですよね。私たちは、しばらくの間、黙ったままで松ぼっくりがゆらゆらするのを眺めていました。

『おっさん、笑ってもいいんだぜ』

『笑ったりしないよ』

ユキくんはゴロゴロと喉を鳴らしました。

 

『俺はテレビに出るのを辞めたかったけど、家の母さんが喜ぶ顔を見ると、なかなかね…』

母さん、そうかもしれませんね。私もジュンコが喜んでいるところを見るのは、嬉しいですもの。

『おっさん、どこか出かけるところだったんだろう? 悪かったな』

『いや、なに』

 

ユキくんの後ろ姿を見送りながら、ユキくんの家の人たちのことを考えていました。ジュンコと暮らして10年以上が経ちました。喧嘩したことだって、あります。それでも、大事な相棒ですよ。ユキくんはお家の人と話し合った方がよいのではないかと、思います。猫と人間の通訳が、どこかにいるとよいのですが。

 

店に戻ると、ルリコさんとジュンコが『今年のボジョレーヌーヴォー、楽しみだわ』などと話していました。この店でも毎年、ボジョレーを飲む会が催されています。ジュンコの作る『オツマミ』もなかなかですよ。ユキくんの心配と、ジュンコのオツマミを楽しみにする気持ちが半分ずつになってきました。ユキくんのことは、ユキくんが決めるのですよね。私はちょっとだけ寝ることにしましょう。