ことのはカフェ

カフェに纏わる由なしごとをそこはかとなく綴ります。

ティピカちゃんねる 27

皆様、ごきげんよう。ティピカです。雨の日には全くお客さまがいらっしゃらない時間帯もあるわけで。そんな時、ジュンコは私を膝にのせて本などを読み読み始めます。きょうは本ではなくて先程、郵便配達のお兄さんが届けてくれたお手紙を読むことにしたようです。

 

少し、眉間に皺を寄せて腕を伸ばして。そんなことをしていないで、素直に老眼鏡を作ったらよさそうなものですが、そこはジュンコなりの『こだわり』があるのかもしれませんね。

『何よ、ティッティ。何か言いたそうね?』

あ、わかりますか? そりゃあ長い付き合いですからね。

ニャー『眉間に皺、寄せない方がかわいいよ』

『やっぱり、リーディンググラス、作った方がいいのかしらね』

と、溜息をつきます。意地でも『老眼鏡』とは言いたくないようです。

 

眉間の皺とは対照的に、口元は微笑んでいます。面白い表情ですよ。時々、声に出して『ふふふ』と笑います。お手紙をくれたのは、アサミさんでした。この春から短大生になり、独り暮らしを始めた、という報告です。食べることが大好きなアサミさんは早速、学生食堂のおばさんと仲良しになったようです。この店でも満面の笑みで『すごぉく、おいしい』と言ってくださいますものね。

 

お友だちのリサさんとリョウくんは美大に通うことになったとの事。よかったですね。またお2人にもお会いしたいですよ。今度は是非、3人お揃いでお越しくださいね。

『ほら、ティッティ、私たちの似顔絵も描いてくれているわよ。相変わらず、上手ね』

以前にこの店で描いてくれたものは、写真のようなタッチでしたが、お手紙の中の私たちはちょっぴり漫画風に描かれていました。どちらにもアサミさんのふわりとした雰囲気が漂っていて、私はとても嬉しくなりました。ゴロゴロと喉が鳴ります。

 

 

カラン、コロンとドアベルが鳴って、常連さんのルリコさんが顔を覗かせました。雨の中をようこそ。皆勤賞ですよ。感謝、感謝。

『あら、ティピカ、きょうは特等席にいるのね。雨が降っているから、お洗濯、サボっちゃった』

と笑っています。確かにいつもの時間より、早いですね。

 

他のお客さまがいらっしゃらない時は、ジュンコも座ってルリコさんと一緒にコーヒーを飲むのが2人の決まりです。さあ『女子会』のはじまりはじまり。思ったとおり、アサミさんはルリコさんにもお手紙を書いていました。

『アサミちゃん、早速あの万年筆とインク、使ってくれているのね』

『気に入ってくれたみたいで、よかったわ。ねえ、ジュンコさん』

アサミさんが手紙をくれたのは『進学祝いに』と2人が万年筆とインクをプレゼントした事へのお礼の意味もありました。

 

前回、アサミさんの合格を聞いた2人はこっそりとプレゼントを贈る相談をしていました。私も側でずっと、その様子を見ていましたから喜んでもらえたことを嬉しく思っています。『画材は好みがあるだろうから、除外しよう』というところから始まって、あれこれ話し合った結果、白の軸に金色のクリップがついた万年筆とプラム色のインクのセットに決めました。それはアサミさんがここで必ず注文してくださる『プラムのケーキ』のイメージでした。この店では、いつも金の縁がついた白いケーキ皿を使っているのです。

 

2人の想いはしっかりと届いたようで『この手紙を書きながら、ママのプラムのケーキを思い出しています。早く食べたいなぁ』と書かれていました。

『私が若い頃って、恰好いい大人がたくさんいたわ。真似しようとして、背伸びしたものよね。万年筆だって、当時は大人のアイテムだったわよね』

そう仰るルリコさんだって、恰好いい大人だと私は思っていますよ。ほら、ジュンコ、側にこんな素敵な先輩がいるんだからさ、年齢に抗わないでさっさと老眼鏡を作りなよ。私の背中を撫でていた筈のジュンコの手が、今度はお尻を抓ろうとしています。あぶない、あぶない。ジュンコにはお見通しなんですよね。私はちょっとだけ寝ることにしましょう。

 

 

サトルさんとモンブラン 23

今朝はいつもより早く、目が覚めた。栗農家のおばちゃんのところのジョンが、やたらに吠えていたからだ。天気がいいから早く散歩させろ、という催促のようだ。普段よりも1時間以上前に店に着く。静かな時間に先ずは1杯。ブルーマウンテンにしよう。

 

ここで1人でコーヒーを飲むことは滅多にない。営業時間以外でも、ヨシコやタツオが来ていることが多い。朝の静けさという上質なお茶請けが、ブルーマウンテンを際立たせるようだ。これはオーナーのマリコさんが現地まで行って、契約した農園で作ったものだ。いつも新鮮な生豆を調達してくれるから、俺も楽しく焙煎できている。

 

『万年筆、お貸しします。オリジナルのインクも取り扱っています』という俺の手書きの貼り紙が目に留まる。マリコさんの提案で始めた試みなのだが、週に1度ぐらいは申し出がある。万年筆好きの俺としては同好の士なら誰でも歓迎だが、若い世代の人たちが興味を持ってくれるのが一層嬉しい。ブルーマウンテンに力をもらったことだし、まだ時間にも余裕がある。よし、万年筆を磨こう。

 

 

俺の万年筆愛が届いたのか、いつもよりも、お客さんが貼り紙に反応してくれている。朝一番にコーヒーを飲みに来た多分、俺より少し年上と思われるウクレレ教室の先生は『毎週来てるのに、貼り紙に気付かなかったよ。モンブランはあるかい? 甥が入学祝いに欲しがっているんだけど、僕は詳しくないから、見せてくれない?』と。居酒屋チェーン店の決まり文句のように『喜んで!』という気持ちでお見せした。いい朝だ。

 

 

午後になると、カルチャーセンターからのお客さんたちが見え始める。毎週おなじみの顔ぶれに加えて、この春開講の新規講座の生徒さんたちも。おなじみさんたちは、テーブルに着く前に『店長さん、モンブランと栗の町ブレンドのポット4つずつ』なんて、オーダーしていく。はじめまして、のお客さんは店の中をそっと見回す。そして、奥の席に座る。

 

『いらっしゃいませ。メニュー、どうぞ』

二十歳ぐらいだろうか? このお嬢さんはちょっとサワコさんに似ているぞ。

カプチーノをください。そして…万年筆をお借りしてもいいですか?』

『かしこまりました』

努めて平静を装う。ここでニヤニヤしてしまっては、変なオジサンのいる喫茶店という印象を与えかねない。このお嬢さんにぴったりの万年筆があるのだよ。

 

何年か前に、ルビーを思わせるような綺麗な軸の万年筆が数量限定で発売された。華奢なつくりでオジサンが持つにはどうか、と思ったのだが、つい買ってしまった。うちの奥方さまにお見せしたら『この値段なら、ルビーのペンダントが買えるのに』と睨まれた、という苦いオマケ付きで長いこと、使いそびれていた。俺の小遣いで買ったんですけどねえ。

 

『お待たせしました。カプチーノです。そして、万年筆どうぞ』

『わぁ、綺麗ですね。ありがとうございます。お借りします』

やっぱり、絵になるな。我がルビーちゃんもお嬢さんに使ってもらえて幸せだろう。あんな娘がいたら、父さんは大はりきりでモンブランでもペリカンでも、何十本でも買ってやるんだけどな。

 

俺を妄想の世界から、目覚めさせるように

引き戸がガラガラと鳴る。ヨシコの休憩時間か。

『サトルちゃん、ホット。あと、チーズトースト。胡椒、多めにして』

『了解』

胡椒多めのチーズトーストはヨシコの眠気覚ましだ。程よい陽気が眠気を誘うのは無理もない。

 

お嬢さんがこちらに万年筆を持ってくる。両手で丁寧に扱ってくれる。オリジナルインクの『春の新色』も1瓶お買い上げ頂いた。マリコさんにも報告したい。手紙を書こう。お嬢さんから手渡された万年筆を見て、ヨシコが言う。

『綺麗だね。ルビーみたい。ちょっと見せて』

『折るなよ、俺の宝物』

『何言ってんのよ』

ヨシコが持っていても、満更でもないな。

と思ったけど、黙っていることにしよう。

 

栞さんのボンボニエール 31

最近、一部の猫ちゃん好きの間で『ニャンコめぐり』と称して、猫ちゃんの編みぐるみでおなじみのタケオ先生の自宅マンションの前で写真を撮り、さらにその足でマサヨさんの文房具屋さんに向かい『営業部長』のフクスケくんと戯れた後に、この猫ちゃんグッズだらけの店でお茶をする、という動きがあるのだという。その話は義姉から聞いた。ご近所の奥さんがその火付け役らしく『私もお土産に栞ちゃんのところのクッキーもらったのよ』と、笑っていた。世間って狭いわね。

 

言われてみると確かに、マサヨさんのお店の紙袋を提げてくるお客さんが増えたみたい。トモヨさんが描いたフクスケくんのイラストが可愛いのよね。奥の席に座っている3人の女性たちも、マサヨさんのところから来たようで、携帯で撮影したフクスケくんの画像を見せ合っている様子だ。

『ほら、このかぎしっぽ。上手く撮れたでしょ?』

『私のは、フクちゃんの顔のどアップよ』

『この伸びをしているのも、いいのよー』

 

フクスケくんは感心するほど、人見知りをしない。兄のところの猫ちゃんは私に慣れるまで、相当かかったわ。高級煮干しを何度お持ちしたことかしら。女性の1人と、目が合う。

ブレンドのおかわりをください』

ボンボニエールの中から猫ちゃんの形のキャンディーを3つ、猫ちゃんの手の形のお皿に載せて、コーヒーと一緒にお届けする。『ニャンコめぐり』の記念にどうぞ。

女性たちは『食べるの、勿体なーい』と言いながら、携帯で写している。

 

 

さあ、伝票の整理の時間だわ。自分用にハワイコナを淹れる。日中は少しずつ、アイスコーヒーのお客さんが増えてきたわね。朝晩は、まだ肌寒いけど。電話が鳴る。マサヨさんだ。お隣のお菓子屋さんのおじさんが苺大福をくれたから一緒に食べよう、というありがたいお話。苺大福は私にとって、春のお楽しみのひとつだ。

 

 

『きょうは、フクちゃんも大忙しだったわ。残業手当に鰆をあげたら、喉を鳴らしていたわよ。人間だったらお銚子の1本もつけるんだけどね』

マサヨさんは苺大福を囓りながら言う。

『この頃、フクちゃんに会いに来てくれるお客さんが増えてきたから、アルバイトさんに来てもらおうかと思っているの』

義姉から聞いた『ニャンコめぐり』の話をしてみた。

『あー、それでタケオ先生の名前が出ていたんだわ。最近、女性数人で連れ立ってくるお客さん、多いのよ』

 

 

『コーヒー、おかわりどう?』

『あ、嬉しい。このブレンドって、あんこにもよく合うのね』

『でしょ?』

私もあちこちの苺大福を食べているけど、おじさんのは一段と美味しい。昔気質のおじさんは最初は『苺とお大福』という組み合わせに難色を示していたそうだが、茶道部の女子高生たちのリクエストにこたえてお店に並べることを決めたらしい。

『おじさんったら、前に私が苺大福食べたい、って言ったときには知らん顔してたのにね』

と、マサヨさんは肩をすくめた。

 

ティピカちゃんねる 26

皆様、ごきげんよう。ティピカです。先日、催事の準備にこの町に来た百貨店バイヤーの『ちょい悪おやじ殿』は、このところ毎週のようにコーヒーを飲みに来ます。

お仕事のついでとは言え、車でだってかなり時間がかかるところをありがとうございます。無愛想なジュンコに代わって、御礼を申し上げます。

 

カラン、コロンとドアベルが鳴って、常連さんのルリコさんが姿を見せます。

『あら、トオルちゃんじゃないの。おつかれさま』

ルリコさんはこの町に移住する前は、百貨店で働いていました。この店で顔をあわせて、業界の『あるある話』で盛り上がって以来、2人は『ルリコ姉さん、トオルちゃん』と呼び合うまでになりました。私も『トオルちゃん』という響きがとても気に入りましたので、そう呼ばせて頂くことにしましたよ。

 

ルリコさんはいつもの席へ。そして文庫本を出して、定番のマドレーヌとコーヒーのセットを注文します。

『ルリコ姉さん、いつもマドレーヌですね』

『1番好きだった彼との思い出のお菓子なのよ』

ルリコさんは、そう言って悪戯っぽく微笑みました。

『是非そのお話、伺いたいですね』

『いつかね』

 

 

『ジュンコさん、トオルちゃんにもマドレーヌ、私から』

ジュンコが貝の形のマドレーヌを金の縁がついた小さなお皿に載せて、トオルちゃんに。

『いただきます』

見た目は『ちょい悪』なのですが、きちんとした人なのですよね。

 

発酵バター、ですね。やっぱり風味がいいですね』

トオルちゃん、ここのマドレーヌはジュンコさんの手作りで、1日に12個が限度だから百貨店には出品できないわよ』

『あ、俺の心の声が聞こえたようですね。残念だなぁ。フランスで食べたマドレーヌを思い出させるような味なのに』

おや、ずいぶんな褒め言葉をいただきましたね。ジュンコはまだ、フランスに行ったことはないのですけれどね。

 

『ジュンコさん、キリマンジャロのおかわりをください』

ジュンコが静かに豆を挽き始めます。音につられて私の尻尾もゆらゆらと動きます。

『ティピカ、君はなかなかリズム感がいいんだな』

『ニャー』どうです? トオルちゃん、一緒に踊りますか?

 

 

キリマンジャロ、お待たせしました』

『ありがとうございます』

トオルちゃんも、いつもキリマンジャロね』

『そうですね。だけど、俺の場合は恋人との思い出じゃないですよ』

『じゃないけど…?』

と、ルリコさんが促します。

『俺が新入社員のとき、会議に使うお弁当の手配をまかされたんです』

 

トオルちゃんは大いにはりきって、あちこちのお弁当を食べくらべた中から、年老いたご夫婦が営んでいる小さなお弁当屋さんに依頼することに決めました。その時に、うっかりゼロをひとつ多く入力したファックスを送信してしてしまいました。お店の奥さんが気づいて連絡してくれたので、大事にはならなかったそうです。

『奥さんが気づいてくれなかったら、ご夫婦は何百個というお弁当を余分に作らなければならなかったんです。青くなりましたよ』

 

キリマンジャロを大事そうに飲みながら、トオルちゃんは続けます。

『急いで謝りに行きました。そうすると、ご夫婦はにこにことして、コーヒーを淹れてくれたんです。その時の豆がキリマンジャロだったんですよ』

ご夫婦は孫のような齢のトオルちゃんにも丁寧に『大手の百貨店さんが、うちのような小さな店に注文してくださって嬉しかったですよ』と言い、仕事の合間に2人でキリマンジャロを飲むのが楽しみなのだと笑っていました。トオルちゃんはすっかりお店のファンになって、よく通うようになりました。ご夫婦もトオルちゃんを可愛がり、よく3人でコーヒーを飲んだそうです。

 

若き日の失敗談、誰にでもあるものなのですねえ。トオルちゃんの話をしみじみと聞いていたルリコさんが私の頭の中を見透かしたように、ニヤリとして私の方を見ました。

『ねえ、ティピカ』

私の話はいいでしょう。まったく、ルリコさんにはかないませんねえ。私はちょっとだけ寝ることにしましょう。

 

サトルさんとモンブラン 22

玉子サンドのつけ合わせのピクルスを囓りながら、ヨシコが言う。

『きのうね、中学の同窓会があるって葉書が来たのよ。6年ぶりだって』

『出席するのか?』

『うーん、幹事さんには悪いけど、店があるし』

『そうか』

 

ヨシコは『制服がかわいい』というだけの理由で私立のお嬢さま中学に行った。そこで親友と出会ったわけだが、その友達というのが俺たちとは違って、お手伝いさんが数人いるような家に住んでいた。ミーハーな理由で入学したようなヨシコとも仲良くなるとは、お嬢さまとは懐が深いものだと当時の俺は感心していた。

『サトルちゃん、ホットおかわり』

『なんだ、ずいぶんゆっくりだな』

『姉さんがゆっくりしていらっしゃいって。そう言えば、姉さん夫婦も同窓会がきっかけだったのよね』

 

そういう話はよく聞くよな。そんなロマンチックな話とは関係ないけれど、この町に出張にきてからというもの、トオルと俺はやたらと関わるようになっている。中学の頃は特に親しかったわけでもないのだが。ついこの間も、ホワイトデーにタツオの焼き菓子と俺のコーヒー豆を詰め合わせにして、35箱ぶん用意してくれ、と連絡があった。タツオ夫婦にも手伝ってもらい、どうにかホワイトデーに間に合うように発送することができたのだ。俺の想像どおり、同僚たちとバレンタインチョコの数を競っていたらしく『前年比110%で圧勝ですよ』と、いかにも百貨店勤めらしい言い回しで高笑いしていた。ご苦労なことだ。

 

 

カラカラと引き戸が鳴る。タツオだ。

『サトルさーん、おつかれさまでーす』

俺たちは『研究会』という名のもとに、月に2回程度、お菓子とブレンドコーヒーの試作品を見せ合っている。と言うとたいそう仕事熱心なようだが、本当のところはその後の1杯飲みが楽しみなのだ。

 

タツオは少し仕事っぽい口調で

『あしたの午後便はモンブランいくつぐらいにしますかね』

と聞いてきた。俺も調子を合わせて

『そうだな、カルチャースクールの日だから、プラス10個にしておこうか』

タツオはにやにやして、いつもどおりの態度になると

『了解でーす』

と言った。奥方さまたち、俺たちは『ちゃーんと』仕事をしてるんですよー。

 

『俺のは、これでーす』

『フィナンシェか? 意外性がないな』

『まあ、食べてみてくださいよー』

『何だ? 発酵食品みたいな。これは…味噌か?』

『おー、さすがですねー。わかりましたか? これ、京都の老舗の白味噌なんですよー』

タツオの話だと、味噌はトオルが『先日は大変お世話になりました』と、一筆添えて送ってきたのだという。

 

『たくさん買ってもらったのは、うちの方なのに、恐縮ですよー。でも、この味噌すごく美味いんですよねー』

『あいつは自分が見つけたものが喜んでもらえるのが、楽しくてしょうがないんだよ。気にしないで、もらっておけよ』

まったく、バイヤーが天職だよな。俺が感心するのは、あいつは女性にだけじゃなく、誰にでもマメなところだ。『前年比110%』というのも肯けるよ。今回タツオが『俺、このブレンドに合うケーキ、作りますよー』と言ったこのコーヒーを我らが名バイヤーにも届けてみようか。

 

栞さんのボンボニエール 30

電話が鳴る。文房具屋さんのマサヨさんだ。息子さんのお夜食の玉子サンドを予約したい、との事だ。了解。マサヨさんが予約の電話をくれるのは、お店がとっても忙しいときだ。無理もない。この時期は普段のお客さんに加えて、新入学の準備をするお客さんたちも増えるのだから。

 

カラン、コロンとドアベルが鳴って、手をつないだお母さんと男の子の姿が。

『いらっしゃいませ。お好きなお席にどうぞ』

男の子は店の中をめずらしそうに見まわして

『ママ、すごいねー。猫だらけだよ』

と声をはずませた。2人は窓側の席にすわって、紅茶とバナナのプリンを注文した。

 

男の子はテーブルの上の猫ちゃん型の塩胡椒入れを両手に持って遊び始めた。それに飽きると今度は

『ママー、筆箱見たい』

と言った。お母さんがバッグから紙袋を取り出す。あら、マサヨさんのお店の袋ね。

筆箱はたくさん仕掛けのついたタイプのものだった。私が小学生の頃からあったわよね。

 

ボタンを押すと、トレーが飛び出す。男の子は目をきらきらさせて『おーっ』と言う。その隣のボタンを押すと、鉛筆ホルダーが立ち上がる。『かっこいいー』ボタンを押すごとに鉛筆削りやルーペなど、色々な仕掛けがあらわれる。お母さんが紅茶を飲んでいる間、男の子はずっと筆箱に夢中になっていた。

 

 

カラン、コロンとドアベルが鳴ってお店のエプロンをしたままのマサヨさんが。

栞ちゃん、遅くなっちゃった』

『忙しそうね。サンドイッチ、出来てるわよ』

マサヨさんは椅子にドスンと座る。

『あー、お腹すいた。まず、ブラジルもらおうか。それと、たらこスパゲティーも』

 

ボンボニエールからアーモンドチョコを2つ、ブラジルのソーサーに添える。おつかれさま。たらこスパゲティーが出来るまで、これでも食べていて。

『新入学準備のお客さん、増えてきたでしょ?』

『そうなの。だけどね、最近、意外なお客さんも増えてきているのよ』

 

マサヨさんは内緒の話をするように、声を少し落とした。

『いつも、事務用品を納入させていただいている会社の社長さんがいらしてね…。私を手招きするのよ。そして、耳もとで、あのさ、ちょっと言いにくいんだけど、あれ、見せてよって、指をさすの』

『え、何?』

 

『ほら、小学生の使う筆箱。仕掛けのいっぱいついた。今ね、新入学用品コーナーにたくさん並べているのよ』

社長さんは子どもの頃、勉強に集中できないのではないか、という理由で仕掛け付きの筆箱を買ってもらえなかった。それで、クラスの皆が持っているのが羨ましかったそうだ。大人になって、ずっと忘れていたけれど、ふと新入学のコーナーを見て懐かしくなって、自分用に買うことにしたのだという。

 

『いい歳してさ、恥ずかしいんだけど、まあ、いいよな? って、おっしゃってね』

さっき筆箱で遊んでいた男の子の楽しげな表情が浮かんだ。社長さんの中にもあの小さな男の子がいるのかもね。

『私のクラスにも、いたわよ。親御さんが学校の先生で、仕掛け付きの筆箱を買ってもらえなかった子』

『必ず、クラスに何人かはいたわよね。そういう子。それでね、この頃大人になってから、子どもの頃に買ってもらえなかった物を買いにくるお客さんが結構いるのよ』

『キャラクター文具とか? かわいい消しゴムなんかも、ありそうね』

『そうなのよ。アメリカのドラマに出てくる社長秘書みたいな女の人が嬉しそうにケーキの形の消しゴムを大人買いしたり、とかね』

 

私の家はゆるかったから、そういう経験はない。だけど、今、高校の先生をしているタカコなんかもお家が厳しくて、キャラクターグッズを持てないし、マンガも読ませてもらえないって言っていたわね。

『息子が言うのよ。あんな、かっこいいスーツを着た人たちが、あんな楽しそうに筆箱やキャラクターグッズを買って行くのって、何だかかわいいよな。俺、やっぱり文房具屋、好きだわって』

 

マサヨさんも息子さんが文房具ワールドに染まってくるのが嬉しくて仕方がないみたいね。にやにやしているマサヨさんを見ていると、私までにやにやしてくるわ。マサヨさんは私のにやにやに気づくと、照れかくしをするように、ブラジルをぐいっと飲んだ。

 

 

ティピカちゃんねる 25

皆様、ごきげんよう。ティピカです。常連さんのルリコさんが店に入ってきて誰かを探すように視線をさまよわせています。

『ニャー』ルリコさん、どうしましたか?

『そのうちわかるわよ。ティピカ』

そう言って、いつもの席に座ります。

『ジュンコさん、注文は少し待ってくれる?』

ルリコさんの隣の椅子に登って、顔を覗き込みます。ほんのりと、嬉しそうですよ。

 

カラン、コロンとドアベルが鳴って、ルリコさんの目がそちらに。

『ルリコ先輩、こんにちはー』

おや、アサミさん! 遠いところをようこそいらっしゃいました。椅子から降りて、歓迎のスリスリを。

『早かったわね』

と、ルリコさん。お2人は待ち合わせでしたか。

『ママ、ティピカさん。おじゃましまーす』

 

ルリコさんがリビングやキッチンに飾る小さな絵をアサミさんに依頼してからというもの、2人はすっかり仲良しになったようで、よく手紙のやりとりなんかをしているそうです。ルリコさんの隣に座ったアサミさんのお膝の上へ。きょうも爪の模様が素敵ですね。

『アサミちゃん、何にする?』

『私、ママのプラムのケーキが大好きなの。前にティピカさんが勧めてくれたのよね』

マドレーヌが定番のルリコさんも、きょうはアサミさんと同じものにしました。

 

 

『あら、初めて食べるけど、これ美味しいわね。さすが、ティピカのお勧めだわ』

『コーヒーもすごくおいしい。大人の味、って感じがするなぁ』

アサミさんはいつも紅茶でしたものね。ほめ言葉には滅多に反応しないジュンコなのですが、アサミさんの無邪気な『すごくおいしい』だけはどうにも嬉しいようで、かすかに照れ笑いを浮かべています。

 

 

『そう、4月から短大生なの? 美大?』

『いえ、私、幼稚園の先生になりたくて』

『絵は描き続けるんでしょ? 私、アサミちゃんの絵、大好きだもの。このあいだの絵も毎日ながめているわよ』

『ルリコ先輩、素敵な額を作ってくれてどうもありがとう。何だか自分の絵じゃないみたいに立派に見えたわ』

ルリコさんは、アサミさんの絵を飾るために額を注文したのだと、この前言っていましたね。うとうとしながらも、私はちゃんと聞いていましたよ。

 

アサミさんは幼稚園で、子どもたちと一緒に絵を描きたいのだそうです。子どもたちに囲まれて、顔に絵の具をつけてしまっているアサミさんの姿が目に浮かぶようですね。ジュンコが何か思い出したようにカウンターの後ろの休憩室に入っていきました。そして、大きなファイルを持ってきてアサミさんに差し出します。

『アサミちゃん、これね、店にきてくれた子どもさんたちが描いたティピカなの。よかったら、見てみて』

『わー、こんなにたくさん。ティピカさん、モテモテだね』

『ニャーン』いえいえ、そんな。モテモテだなんて。

 

 

『みんな、上手に描けているねぇ。この子はおひげの1本、1本まで丁寧に見てる』

『あら、これはお腹がピンク色に塗られているのね』

ルリコさんも一緒に覗いて言います。

『ティピカちゃんが寒かったら、かわいそうだから、私とお揃いのセーターを着せてあげたの、と言っていたわ』

『やさしいね』

『それにしても、ジュンコさん、ずいぶん集まったじゃない』

『おかげさまでね。いつか店の中で展覧会ができたらいいな、なんて思っているのよ』

『わー、ママそれ私、絶対観に来たいですー』

『じゃあ、アサミちゃんの夏休みに合わせたらいいかしらね』

 

 

どういうわけか子どもさんたちはよく、このオジサン猫の絵を描いてくれるのです。なので、アサミさんの夏休みまでにはもう少し増えているかもしれませんね。ありがたいことではあるのでしょうけれど『猫ちゃん、動いちゃだめ』はまだしも、アイドルの応援うちわのように『ピースして』と言われたこともありました。モデルになるのもなかなか大変なのですよ。体力をたくわえるために私はちょっとだけ寝ることにしましょう。