トモノリさんは好物の玉子サンドのお皿を空にすると猫ちゃんのような伸びをして、ブルーマウンテンをひとくち飲んだ。そして、壁に掛かっている猫ちゃんの形の時計を見詰めて何か考えているようだった。タケオさんがその様子をひとつ空けた隣の席でトラジャを飲みながら横目で見ている。
『栞さん、そのにゃんこ時計ってさ、先週はなかったよね?』
『ああ、これはね…』
言いかけた時、タケオさんが『ふっ』と笑う。トモノリさんが不思議そうにタケオさんを見る。
『タケオさん、このたびは大変ご足労さまでした』
『どういたしまして。いつものことで慣れているよ』
トモノリさんはタケオさんと私の顔を交互に見て、ますます訳が解らない、といった様子だ。トモノリさんが言う『にゃんこ時計』が掛かっている場所に元々あったのは文字盤にさりげなく白い猫ちゃんが描かれた端正なデザインのものだった。お客さんから、その時計を『是非に譲ってもらえないか』というお声があったのは5日前のことだ。このお店にあふれている猫ちゃんグッズの大半はオーナーのマリコさんが国内外を問わず『愛猫センサー』をフル稼働させて蒐集したものばかりで、譲って欲しい、とか、作り手さんを紹介して欲しい、というお問い合わせがあるのはしばしばだった。
マリコさんはそういったお声には極力、応じようとする人だった。今回の時計のことも、お伝えすると『古いものだし、値段なんか忘れちゃったわ。お代はいいから、差し上げて』と即答した。それから『だけど…店だって時計がないと、困ることもあるわよね。すぐに代わりのものを用意するから、それまで待って頂けると助かるわ』と続けた。マリコさんとのやり取りがあった次の日の午後、タケオさんが大きな紙袋を片手に姿を現した。私はマリコさんのパターンには慣れていたつもりだったけど、本当はまだまだだったんだな、と思った。と言うのも、いつもはホットコーヒーのタケオさんが『水出しコーヒー』を注文したので『タケオさんが冷たいコーヒーなんて、外はよほど暑いんですね』などと、呑気な言葉を掛けてしまったのだ。タケオさんは笑いながら『暑いのは気温じゃなくって、マリコ・フィーバーの方だよ。おかげでこっちまでヒートアップさせられてね』と、手に提げてきた紙袋を私の前で、ひらひらさせて『新しい時計、持ってきたよ』と言った。『すみません、タケオさん。おいそがしいのに』慌てて頭を下げる私には
『栞ちゃんは、何も気にする必要はないよ』と言ってくれた。マリコさんの『すぐに』を支えているのはいつも、タケオさんなのよね。ボンボニエールから、以前に『美味しい』と気に入ってくれたジャンドゥヤのチョコをお渡しして労う。
トラジャをひとくち飲んで、タケオさんは
言う。
『しかし、あの人はさ、まるで狙ったかのように、おばさん刑事の放送時間に電話をかけてくるんだな』
隣で聞いていたトモノリさんが、ぷっと笑った。マリコさんからの電話の第一声が
『お楽しみのところ、悪いわね』で、その後に『ドラマはちゃんと録画しているから、ちょっと頼まれてくれないかしら?』
と、前置きをして『店で使う掛け時計をマンションまで取りに来て欲しい』のだと言ったそうだ。
『その夜はちょうど、雑誌の撮影用の作品を仕上げないとならなくてね。翌日の昼以降なら、ということで調整したんだ』
そのことに対するマリコさんの返事は
『あら、あなた夏でも意外と仕事してたのね』だそうで、ニット作家は秋冬に集中的に仕事をするものだと思い込まれていた、ということがわかった。トモノリさんは2杯目のブルーマウンテンを飲みながら
『あのチャーミングなにゃんこ時計は、タケオさんのご足労の賜物だったんだね』
と、タケオさんに深々と頭を下げた。そして、まじまじと時計を見詰めて
『お店のは、とら猫ちゃんだけど、三毛ちゃんのデザインはないのかにゃー?』
と、呟いた。タケオさんは
『三毛猫だけじゃなく、白猫や黒猫のデザインもあったよ』
と答えている。マリコさんのマンションに時計を取りに行った時、たくさんの『候補者』が整然と並んでいたらしく、このシリーズの全ての柄のものと、猫ちゃんの尻尾が振り子のようにゆらゆらと動くデザインのものが3種類あったのだという。マリコさんは『取りに来てくれたご褒美に、どれを店に置くかを、タケオに選ばせてあげるわ』と言ったそうだ。
『そんな事、僕にとってはご褒美でも何でもないんだけどね』
と、タケオさんは肩をすくめる。
トモノリさんはケイタイ片手に『にゃんこ時計』の検索を始めて
『あ、ホントだぁ。三毛ちゃん、白ちゃん、黒ちゃんもいるー』
と、語尾にハートマークが付きそうな口調で言って目尻を下げている。
『三毛ちゃん、黒ちゃんお買い上げー』
会社では敏腕の経理課長さんである人が、10代の女の子のようにうきうきしてネットショッピングをしている様子はちょっぴり不思議な世界だわ。猫ちゃんの愛らしさの為せる技、ということかしら。その後もトモノリさんは語尾を『にゃーにゃー活用』させながら、猫ちゃんグッズショッピングを続け、タケオさんと私はそっと見まもることにした。