ことのはカフェ

カフェに纏わる由なしごとをそこはかとなく綴ります。

サトルさんとモンブラン 23

今朝はいつもより早く、目が覚めた。栗農家のおばちゃんのところのジョンが、やたらに吠えていたからだ。天気がいいから早く散歩させろ、という催促のようだ。普段よりも1時間以上前に店に着く。静かな時間に先ずは1杯。ブルーマウンテンにしよう。

 

ここで1人でコーヒーを飲むことは滅多にない。営業時間以外でも、ヨシコやタツオが来ていることが多い。朝の静けさという上質なお茶請けが、ブルーマウンテンを際立たせるようだ。これはオーナーのマリコさんが現地まで行って、契約した農園で作ったものだ。いつも新鮮な生豆を調達してくれるから、俺も楽しく焙煎できている。

 

『万年筆、お貸しします。オリジナルのインクも取り扱っています』という俺の手書きの貼り紙が目に留まる。マリコさんの提案で始めた試みなのだが、週に1度ぐらいは申し出がある。万年筆好きの俺としては同好の士なら誰でも歓迎だが、若い世代の人たちが興味を持ってくれるのが一層嬉しい。ブルーマウンテンに力をもらったことだし、まだ時間にも余裕がある。よし、万年筆を磨こう。

 

 

俺の万年筆愛が届いたのか、いつもよりも、お客さんが貼り紙に反応してくれている。朝一番にコーヒーを飲みに来た多分、俺より少し年上と思われるウクレレ教室の先生は『毎週来てるのに、貼り紙に気付かなかったよ。モンブランはあるかい? 甥が入学祝いに欲しがっているんだけど、僕は詳しくないから、見せてくれない?』と。居酒屋チェーン店の決まり文句のように『喜んで!』という気持ちでお見せした。いい朝だ。

 

 

午後になると、カルチャーセンターからのお客さんたちが見え始める。毎週おなじみの顔ぶれに加えて、この春開講の新規講座の生徒さんたちも。おなじみさんたちは、テーブルに着く前に『店長さん、モンブランと栗の町ブレンドのポット4つずつ』なんて、オーダーしていく。はじめまして、のお客さんは店の中をそっと見回す。そして、奥の席に座る。

 

『いらっしゃいませ。メニュー、どうぞ』

二十歳ぐらいだろうか? このお嬢さんはちょっとサワコさんに似ているぞ。

カプチーノをください。そして…万年筆をお借りしてもいいですか?』

『かしこまりました』

努めて平静を装う。ここでニヤニヤしてしまっては、変なオジサンのいる喫茶店という印象を与えかねない。このお嬢さんにぴったりの万年筆があるのだよ。

 

何年か前に、ルビーを思わせるような綺麗な軸の万年筆が数量限定で発売された。華奢なつくりでオジサンが持つにはどうか、と思ったのだが、つい買ってしまった。うちの奥方さまにお見せしたら『この値段なら、ルビーのペンダントが買えるのに』と睨まれた、という苦いオマケ付きで長いこと、使いそびれていた。俺の小遣いで買ったんですけどねえ。

 

『お待たせしました。カプチーノです。そして、万年筆どうぞ』

『わぁ、綺麗ですね。ありがとうございます。お借りします』

やっぱり、絵になるな。我がルビーちゃんもお嬢さんに使ってもらえて幸せだろう。あんな娘がいたら、父さんは大はりきりでモンブランでもペリカンでも、何十本でも買ってやるんだけどな。

 

俺を妄想の世界から、目覚めさせるように

引き戸がガラガラと鳴る。ヨシコの休憩時間か。

『サトルちゃん、ホット。あと、チーズトースト。胡椒、多めにして』

『了解』

胡椒多めのチーズトーストはヨシコの眠気覚ましだ。程よい陽気が眠気を誘うのは無理もない。

 

お嬢さんがこちらに万年筆を持ってくる。両手で丁寧に扱ってくれる。オリジナルインクの『春の新色』も1瓶お買い上げ頂いた。マリコさんにも報告したい。手紙を書こう。お嬢さんから手渡された万年筆を見て、ヨシコが言う。

『綺麗だね。ルビーみたい。ちょっと見せて』

『折るなよ、俺の宝物』

『何言ってんのよ』

ヨシコが持っていても、満更でもないな。

と思ったけど、黙っていることにしよう。