ヨシコが遅めの昼ごはんのために、入って来た。
『サトルちゃん、ホット。あと、チーズトースト』
遅めであっても、昼ごはんを食べに来られる日は、まだいい。商売繁盛は何よりだけれども。
コーヒーをひとくち飲んで、伸びをする。そして、チーズトーストにたっぷりと胡椒を振りかける。お疲れさん、ゆっくりできるときは、ゆっくりしろよ。『タツオくんの店の』と言いかけたとき、近所のカルチャースクールの生徒さんが本を大事そうに抱えて、入ってきた。
ヨシコを見つけると
『ブリママ、来てたんだ。見て、見て』
と、となりの席に座る。そして、メニューよりも先に本を開く。
『タケオ先生の新しい本、予約してたの。素敵なのよー』
『どれどれ』
と、ヨシコも一緒に本を覗く。
『今回の本はね、先生のインタビューを中心にしていてね。今までの作品に対する思いとか』
生徒さんは目をハートマークにして、ページを捲っている。ヨシコは意外と冷静だ。姉が妹の話を聞くときのような、落ち着いた微笑みを浮かべている。そういう表情を見ると、元女優なんだよな、ということを思い出す。
『わー、この写真、最高だわ! 拡大コピーして部屋に飾るわ』
『僕の宝物、伯母から貰った万年筆です。モンブランね。こうして見ると、タケオ先生ってよき時代の文豪みたいね』
ヨシコが声に出して読んだ言葉が気になって俺もつい、本を覗き込む。これが、編み物のタケオ先生か。だけど、この顔はどこかで見たことがあるような気がする。モンブランの万年筆を片手に、机に向かう横顔。
俺にようやく気づいた生徒さんが
『あ、店長さん、ごめんなさい。つい、買ったばかりの本に夢中になっちゃって。モンブランと栗の町ブレンドをください』
どこで見たんだろう。ケーキとコーヒーを運んでそのときにもう一度、そっと本を覗いてみたけど、ページが変わっていた。
生徒さんはヨシコ相手に、タケオ先生の魅力を延々と語り続けた。いつもは賑やかだと感じる筈のヨシコの方が静かに見えて、不思議だった。たっぷり語ると満足そうに
『コピー取って来ようっと』
と、コンビニへ。
『サトルちゃん、ホット、おかわり』
『あのタケオ先生って、俺、どこかで見たことあるような気がするんだよな』
『オジサンは知らないかもしれないけど、女性には人気あるのよ。テレビに出たこともある筈だわ』
『いや、テレビで見たわけじゃないな。思い出せない。店に来たことはないし』
俺は、一度でも店に来てくれた人の顔は忘れないようにしている。
ヨシコはコーヒーを飲みながら、おにぎり屋のエプロンのポケットからビニール袋に入ったクッキーを出して食べ始めた。俺にもひとつ、くれた。
『幼稚園ママさんが作ってくれたの。素朴でおいしいわよね』
そして、意外な話を始めた。
『タケオ先生ってね、ミユちゃまのいとこなのよ』
『え、ミユちゃまって、ミユキさんのことか?』
『この間ね、さっきの本と同じのを送ってくれたの。いとこが本を出したから読んでみて、って』
『やっぱり、いとこ同士ってどことなく、似ているものだな。俺がタケオ先生を見たことがある、って思ったのはミユキさんと似ているからだったよ』
俺はこのカウンターで、モンブランの万年筆を手に一生懸命、メモを取っていたミユキさんの姿を思い起こした。
『モンブランの万年筆はね、ミユちゃまのお母さんが2人にお揃いの物を買ってくれたんだって』
そう言いながら、クッキーの入った袋を俺に差し出す。もうひとつ、貰おうか。
『タツオみたいな職人が作るものと違うけど、懐かしい味だよな』
『そうだ、タツオくんのお店にある猫のクリタロウの編みぐるみ』
『そのタケオ先生が作ったというやつ?』
『そう、そう。頭を撫でたら、試験に合格したっていう話をお客さんから聞いたわ』
この前は、確か恋愛運がどうとか。クリタロウ人形も、ずいぶんといそがしいな。最近では『猫店長』なんていうのがいるらしいけど、そんなところか。人形ではない当のクリタロウは、いつでも悠々としたものだ。見習いたいものだ。
『タケオ先生ってね、外見が王子さまっぽいから、アイドルみたいに扱われることも多いのよ』
『さっきの生徒さんもそんな感じだったよな。目がハートマークだったぜ』
『このあいだはファッション雑誌から、モデルをしてほしいって。それは断ったみたい。作品より自分が目立つのもどうかって』
『俺もコーヒーより、店長さんの顔が見たくて来たわ、なんて言われても嬉しくないかも』
『サトルちゃんは王子じゃないから、大丈夫よ』
まあ、確かに王子ではない。王子さまじゃなくオジサマだ。オジサマはきょうも、お客さんにホッとしてもらうための1杯を、丁寧に淹れよう。
『今回の本もね、作品の方にウェイトを置きたかったみたい。アイドルじゃなく、職人さんなのよね』
『俺も、1冊買ってみようかな。クリタロウ人形にお客さんが集まる理由がわかるかもしれない』
『サトルちゃん、中学のときに推理小説、書いてたわよね。私が犯人を当てそうになると、違う人を犯人に書き直すの。絶対、犯人を見つけさせないつもりだったでしょう?』
『お前が、犯人当てたら賞金よこせって言うからだよ』
その頃、作家になりたかった俺は憧れのモンブランの万年筆を買うために小遣いを貯めていた。だから、タケオ先生がモンブランを宝物だ、と言っていることに親しみを感じた。モンブランは王子さまにとっても、オジサマにとっても宝物だということかもしれない。