ことのはカフェ

カフェに纏わる由なしごとをそこはかとなく綴ります。

サトルさんとモンブラン 2

ガラガラ、と音を立てて引き戸が開いてヨシコが入って来る。『おむすび屋ブリジット』のエプロンは着けたままだ。

 

『サトルちゃん、ホット』

『おう、きょうは遅いな』

『おかげさまで、繁盛しているんですよ。旦那』

と、冗談めかして言う。

『さっきまで、団体のお客さんが続いてね、全部でおむすび100個よ』

『お疲れさん、何か食べるか?』

そうだ、タツオのモンブランの試作品がまだあったな。

 

『何、これ? モンブラン?』

タツオの今週の試作品、生地の食感を変えてみたそうだ』

ヨシコはフォークで、モンブランを口に運ぶ。

『あ、ホントだ。いつもより、生地がやわらかい。栗のペーストと同じみたい。一体化とでもいうのかしら』

 

タツオは、この町の特産品である栗が気に入って移住してきた。いつも『ケーキ職人として、モンブランを極めたい』と言っている。そして、あれこれ試作品を作っては俺のところに持って来る。

 

『きょうの団体さんたちもね、タツオくんの店まで3時間かけて来たのよ』

『ケーキを買いに?』

『ケーキもそうだけど、きょうのお客さんたちはね、クリタロウ目当て』

 

クリタロウはタツオの奥さんのマドカちゃんが溺愛している猫だ。2人がこの町に来て間もない頃、2人のもとに迷いこんで来て、家族になった。モンブランを思わせるやわらかい茶色を基調にした猫で、マドカちゃんが配信する動画で、ちょっとは知られる存在になった。

 

マドカちゃんが、クリタロウと一緒にこの町の風景やタツオの店のことも、動画やブログで扱うようになってからは愛猫家を中心に、他県からもお客さんたちが、訪れるようになった。そんなお客さんたちからも、タツオのケーキは好評だ。

 

『ねえ、サトルちゃん。タツオくんのお店に、クリタロウの編みぐるみがあるでしょ?』

『編みぐるみ? ああ、あの毛糸でできたクリタロウより大きいサイズの』

『そう、それ。あの編みぐるみをね、携帯の待ち受けにしてから、恋愛運がよくなった女の子がいるって噂があるらしいわよ』

『なんだそれ?』

 

まさか、ヨシコからそんな女学生のような言葉を聞くとは思わなかった。

『さっきのお客さんたちが言ってたの。それで、自分たちもクリタロウを撮りにここまで来たんだ、って』

オジサンには、理解しがたい話だ。だけど、オバサンはこの話にまったく疑問を持っていないようだった。呑気な顔をして、残りのモンブランを食べながら

『クリタロウ効果、あるといいね』

などと言う。そして、1杯目のコーヒーを飲み干すと

『サトルちゃん、ホットおかわり』

と言った。

 

恋愛運がどうだ、とかいう話はともかく、マドカちゃんがインターネットで配信をしてくれているおかげで、町に活気が出てきたということは、俺も感じている。観光地でもないこの町に、人が来る。そして、タツオたちのようにここに移住してくる人たちも出はじめた。それを『クリタロウ効果』というのなら、そうなのかもしれない。

 

また、カラカラと引き戸が開く音がする。ヨシコ以外はだいたい『カラカラ』だ。

『あら、マドカちゃん、いらっしゃい』

ヨシコが自分の店のような挨拶をする。

マドカちゃんは

『お邪魔します』

と、ヨシコの隣に座る。

 

『サトルさん、ホットサンドと栗の町ブレンドをください』

『お昼ごはん? にしては遅いわよね』

と、ヨシコ。

『お客様が、クリタロウの編みぐるみを譲ってくれ、と仰ったの。それを納得していただけるようにお断りしていて』

『恋愛運がよくなる、っていう話?』

『え? そんな話があるの?』

マドカちゃんは知らなかったのか。

 

『あのクリタロウは、ニット作家のタケオ先生の作品なの。先生のファンの方が、是非に、って』

タケオ先生、俺も名前は聞いたことがある。どんな人かは知らない。

『で、納得してもらえたのね』

『なんとか』

『ホッとしたところで、ホットサンド、お待たせ』

俺の駄洒落は、聞き流されてしまった。

 

マドカちゃんがコーヒーを飲みながら、言う。

『待ち受けの効果かどうかはともかく、この町の空気に触れて気分転換できたら、恋愛運もよくなるかも。そう思うと、動画を撮る楽しみも増えるわ』

 

マドカちゃんのそういう気持ちが、動画を観ている人にも響くのかもしれないな。そう思って、ヨシコの方を見る。ヨシコも同じことを考えているように、俺には見えた。