ガラガラ、と音を立てて引き戸が開いてヨシコが入って来る。『おむすび屋ブリジット』のエプロンは着けたままだ。
『サトルちゃん、ホット』
『おう、きょうは遅いな』
『おかげさまで、繁盛しているんですよ。旦那』
と、冗談めかして言う。
『さっきまで、団体のお客さんが続いてね、全部でおむすび100個よ』
『お疲れさん、何か食べるか?』
『何、これ? モンブラン?』
『タツオの今週の試作品、生地の食感を変えてみたそうだ』
ヨシコはフォークで、モンブランを口に運ぶ。
『あ、ホントだ。いつもより、生地がやわらかい。栗のペーストと同じみたい。一体化とでもいうのかしら』
タツオは、この町の特産品である栗が気に入って移住してきた。いつも『ケーキ職人として、モンブランを極めたい』と言っている。そして、あれこれ試作品を作っては俺のところに持って来る。
『きょうの団体さんたちもね、タツオくんの店まで3時間かけて来たのよ』
『ケーキを買いに?』
『ケーキもそうだけど、きょうのお客さんたちはね、クリタロウ目当て』
クリタロウはタツオの奥さんのマドカちゃんが溺愛している猫だ。2人がこの町に来て間もない頃、2人のもとに迷いこんで来て、家族になった。モンブランを思わせるやわらかい茶色を基調にした猫で、マドカちゃんが配信する動画で、ちょっとは知られる存在になった。
マドカちゃんが、クリタロウと一緒にこの町の風景やタツオの店のことも、動画やブログで扱うようになってからは愛猫家を中心に、他県からもお客さんたちが、訪れるようになった。そんなお客さんたちからも、タツオのケーキは好評だ。
『ねえ、サトルちゃん。タツオくんのお店に、クリタロウの編みぐるみがあるでしょ?』
『編みぐるみ? ああ、あの毛糸でできたクリタロウより大きいサイズの』
『そう、それ。あの編みぐるみをね、携帯の待ち受けにしてから、恋愛運がよくなった女の子がいるって噂があるらしいわよ』
『なんだそれ?』
まさか、ヨシコからそんな女学生のような言葉を聞くとは思わなかった。
『さっきのお客さんたちが言ってたの。それで、自分たちもクリタロウを撮りにここまで来たんだ、って』
オジサンには、理解しがたい話だ。だけど、オバサンはこの話にまったく疑問を持っていないようだった。呑気な顔をして、残りのモンブランを食べながら
『クリタロウ効果、あるといいね』
などと言う。そして、1杯目のコーヒーを飲み干すと
『サトルちゃん、ホットおかわり』
と言った。
恋愛運がどうだ、とかいう話はともかく、マドカちゃんがインターネットで配信をしてくれているおかげで、町に活気が出てきたということは、俺も感じている。観光地でもないこの町に、人が来る。そして、タツオたちのようにここに移住してくる人たちも出はじめた。それを『クリタロウ効果』というのなら、そうなのかもしれない。
また、カラカラと引き戸が開く音がする。ヨシコ以外はだいたい『カラカラ』だ。
『あら、マドカちゃん、いらっしゃい』
ヨシコが自分の店のような挨拶をする。
マドカちゃんは
『お邪魔します』
と、ヨシコの隣に座る。
『サトルさん、ホットサンドと栗の町ブレンドをください』
『お昼ごはん? にしては遅いわよね』
と、ヨシコ。
『お客様が、クリタロウの編みぐるみを譲ってくれ、と仰ったの。それを納得していただけるようにお断りしていて』
『恋愛運がよくなる、っていう話?』
『え? そんな話があるの?』
マドカちゃんは知らなかったのか。
『あのクリタロウは、ニット作家のタケオ先生の作品なの。先生のファンの方が、是非に、って』
タケオ先生、俺も名前は聞いたことがある。どんな人かは知らない。
『で、納得してもらえたのね』
『なんとか』
『ホッとしたところで、ホットサンド、お待たせ』
俺の駄洒落は、聞き流されてしまった。
マドカちゃんがコーヒーを飲みながら、言う。
『待ち受けの効果かどうかはともかく、この町の空気に触れて気分転換できたら、恋愛運もよくなるかも。そう思うと、動画を撮る楽しみも増えるわ』
マドカちゃんのそういう気持ちが、動画を観ている人にも響くのかもしれないな。そう思って、ヨシコの方を見る。ヨシコも同じことを考えているように、俺には見えた。