雑誌の広告のページに、目が留まる。テレビでもよく見かけるこの女優さんは、家にも何度か遊びに来たことがある。華がある看板女優さんで、劇団時代はヨシコと一番親しくしていた。
ヨシコが劇団を辞めたのは、この女優さんとの意見の食い違いからだった。野心のためには手段を厭わない、という彼女のふるまいが劇団にとって、好ましくない前例を作ってしまった。そのことがヨシコには、耐えられなかった。
私は『女優・ブリジット』が好きだった。彼女と共演した舞台で、ちょっと変わった焼きいも屋さんを演じた。それが、お芝居全体のほどよいスパイスになっていた。
ブリジットのユーモラスな動きが、彼女を本物の笑顔にした。それに魅了されてファンが増えた。彼女はヨシコのことを、覚えているだろうか。
サトルちゃんがお水を注ぎ足してくれる。レモンの匂いがほのかに漂う。
『ありがとう。このレモン、酸味がやわらかいわよね』
『タツオの店と同じものなんです。あいつの奥さんの友達が、レモン農家なんですよ』
本当にサトルちゃんとタツオくんは、いいコンビだわ。この2人にはヨシコたちのような意見の食い違いは起こらないだろう。
『サトルちゃん、タツオくんのマドレーヌ、お土産用に頂いてもいい?』
『もちろんですよ。ラッピングしましょうか?』
『ありがとう。でも、ヨシコと家にだから、そのままでいいのよ』
電話が鳴る。
『なんだ、おにぎり屋。出前か?』
『だから、おむすびだったら!』
ヨシコの声がここまで聞こえる。
『今からミサトさんたち行くから、ワッフル焼いておいて』
受話器をガチャンと置いたときの音まで聞こえる。
『俺はおむすびだろうが、おにぎりだろうが美味ければ、どっちでもいいと思うんですけどね』
サトルちゃんが笑いながら、言う。
『ヨシコにとって、おむすびは元気のもとなのよ。学生の頃からの親友のお母さんが作ってくださったものが原点なの』
『小津監督の映画の中みたいな、というお母さんですよね?』
『もう、何回も聞いてるでしょうね』
『はい、暗記できるぐらい』
『ヨシコは落ち込むと、小母さまに会いに行くの。劇団を辞めたときも、そうだったわ。小母さまは、いつもヨシコの気持ちに寄り添うように、そっとおむすびを作ってくださるんですって』
照れ屋のヨシコは、そこまでは話していないのね。サトルちゃんは少し、改まった表情になった。
ヨシコはいつも、自分の作ったおむすびを食べて『まだまだよのうー』言う。
それを聞くと、私は『おむすび屋ブリジット』はこれからも安泰だわ、と思う。