ヨシコはサトルが注いだブランデーを美味しそうに飲みながら、言った。
『ねぇねぇ、私、コマーシャルに出演することになったのよ』
飲みかけていたブランデーが、喉にささったような気がして、咳き込む。コマーシャルだって? ヨシコは俺の様子を見て
『ふふ、びっくりしたでしょ? ユウちゃんの反応、思ったとおりだわ』
と、ちょっと得意げだ。サトルは…意外と冷静だな。何か思い当たることでもあるのだろうか。
サトルはニヤリとして
『ミユキさんか?』
と聞いた。
『そう。わが心の友、ミユちゃま』
『ミユキさんって、確かこの店のオーナーの娘さんか?』
『ああ、この前、新しい企画の立ち上げのことで、ここに来たんだよ』
『それで、ブリジットの美貌にひと目ぼれして、スカウトしてきたというわけよ』
『ユウちゃん、ヨシコの話は流していいぜ』
『ああ、そうしよう』
ブリジット、ヨシコが劇団にいた頃の芸名だ。おにぎり屋を始める、だいぶん前の話なのだが。
サトルとヨシコの話だと、サトルの店のオーナーが『喫茶店で手紙を書く風景を復活させたい』と言い、この店でも手紙用品を販売しようということになった。その企画のイメージキャラクターに、ヨシコのお姉さんのサワコさんが選ばれた。サワコさんは最初は躊躇っていたが『劇団にいたことがある妹と一緒なら』と引き受けたという。
サワコさんは楚々とした美人で、ヨシコとは6つ違いの『自慢の姉』だ。ざっくばらんなヨシコとは対照的だが、お互いにない要素に惹かれ合うものなのか、仲がよい。サワコさんはヨシコをとても可愛がっていて、時々はおにぎり屋を手伝いに来ている。そして、その休憩時間にサトルのコーヒーを飲みに来て、ミユキさんと出会ったそうだ。それがどういうわけか、ヨシコとも意気投合してしまって『ミユちゃま、ブリちゃま』と呼び合うまでの仲になったという。
ミユキさんは当初、サワコさんのポスターを作って店に貼るつもりだったらしい。だけど、その予算でインターネット動画で広告を出した方がたくさんの人に見てもらえるだろう、とヨシコたちが提案したようだ。
『撮影はね、大学のときの演劇サークルの先輩がしてくれるの。奥さんがね、メイクのお仕事をしているんですって。だから、プロにメイクしてもらって撮るのよ。本格的よー。惚れなおすわよ、あなたたち』
いつ、俺たちが惚れたよ? まったく、お前という奴は。
『だけど、今はコマーシャルって俺たちにも手の届くものになったんだな』
サトルがしみじみと言う。
『テレビではない、けどな』
『見てくれる人がいるなら、どっちだって同じよぉ』
なるほど、ヨシコもたまにはいいことを言う。
この小さな町から発信した何かが、遠く離れたところの誰かの心に響いて、そこからまた、何か新しいものがうまれる。想像すると、ちょっとワクワクする。ヨシコは俺の横顔をちらりと見てサトルに言う。
『ユウちゃん、何か想像してニヤニヤしてるわよ』
『好きにさせておけ』
そして、ブランデーを飲み干す。俺たちの中ではヨシコの飲みっぷりが一番だ。俺の食べかけのチーズを口に放り込む。
『サトルちゃん、ホット』
『もう、ネルを片付けたから、いやだ』
『えーっ? コーヒー飲みたい、コーヒー飲みたい!』
幼なじみとの、こんなどうでもいいようなやりとりさえも、カメラ越しに見たらドラマがあるように思えるのだろうか。『元女優・ブリジット』のコマーシャルでサトルの店の企画も意外と盛り上がるかもしれない。
『サトルちゃん、俺もホットおかわり』
『いやだ』
『サトルちゃん、多数決よ。2対1よ』
『そうだ、そうだ。コーヒー飲ませろ』
『黙れ、栗のケーキ!』
痛いところを。俺が黙ると、サトルはニヤリとした。ヨシコが不思議そうな顔をする。
『栗のケーキって、何?』
『ナイショ』
『ナイショ』
サトルと俺は顔を見合わせて笑う。やっぱりこの町の暮らしだって、そう悪くはない。