カウンターの上には、三毛ちゃんがずらりと。丸くなって寝ている子、伸びをしている子、お行儀よく座っている子、毛づくろいをしている子、まだまだ他にも。
『栞ちゃん、お手数をおかけしてごめんなさい。探すの大変だったでしょう?』
『いいえ、全然。たぶん、今うちにいる子はこれで全部よ』
『我ながら、たくさん編んだものだね』
タケオさんは毛糸でできた三毛ちゃんたち、ひとつひとつを本物の猫ちゃんに触れるように、そっと並べ変える。
この三毛ちゃんたちは、店のあちこちに飾られていた。この店は食器もすべて、猫ちゃんをテーマにしたものばかりだ。コーヒー専門店ではあるけれど、お客さんたちのほとんどは、この猫ちゃんグッズ見たさに来てくれているのだと思う。
『どの子も可愛くて。お客さんが、どうしても譲ってほしい、っていう子もいたから半分ぐらいになっちゃったけど』
『どこかのお宅で、可愛がっていただけるなら、僕も嬉しいよ』
タケオさんは、幅広い年齢層の女性たちに人気のニット作家さんだ。この店のオーナーのマリコさんと親戚だという関係で、作品が店に飾られている。今回、タケオさんが20冊目の本を出すことになった。その撮影に、この三毛ちゃんの編みぐるみも使うそうだ。
『じゃあ、お借りするね。撮影が済んだら、また連れてくるから』
タケオさんは、三毛ちゃんを木綿のトートバッグにそっと、詰める。たくさんあるので、顔をバッグからはみ出させる子がいるのもご愛嬌だ。
『何か、飲んで行く時間あるの?』
『そうだね。うちに戻ったら、またすぐ作品にかかるから、夕飯のつもりで何かいただこうかな』
タケオさんはメニューを捲る。
『お腹も空いてきたから、フレンチトーストとトラジャにしようか』
お腹が空いた、と言いながら、パンでも足りてしまうのね。私なら、どんぶりごはんだわ。タケオさんは元々、食が細い。タケオさんから『お腹が空いた』という言葉が出ること自体がめずらしい。いつものボンボニエールから、ヘーゼルナッツのチョコを2つ、トラジャのソーサーに添える。
『ありがとう。最近、本に載せるインタビュー記事のチェックで書き物が多かったから、甘いものが嬉しいよ』
『どんな本になるか、楽しみだわ。本屋さんに並んだら、買うわね』
『買うなんて、読んでくれるならプレゼントするよ。今回はね、編み物を始めたきっかけとか、作品に対する思いとか。そんなところをまとめたものなんだよ』
なるほど、だからこの三毛ちゃんたちが登場するのね。タケオさんの作品には、お花をモチーフにしたものが多い。ファンの人たちにも、タケオ先生の代表作は『庭に咲く花々のモチーフ』だと思われていた。だけど、ニット作家としてのスタートは猫ちゃんをモチーフにしたものだという。このことは、あまり知られていない。
お家の事情で、伯母のマリコさんの家で過ごすことが多かったタケオさんにとっては、マリコさんの猫ちゃんたちも家族だった。編み物を始めたのは、よく遊びに行ったり来たりしていた『お祖母さんのお姉さん』の影響だと聞いたことがある。そのお家の庭には、よく手入れされた花がいつも咲いていた。学校を休みがちだったタケオさんの日常を、猫ちゃんたちとお花が照らしてくれていたという。
タケオさんはフレンチトーストを食べてしまうと、お皿に描かれた雪と梅をじっと見上げる猫ちゃんの絵に気づいて言った。
『栞ちゃん、このお皿、素敵だね。どこの作家さん? 若い女性かな?』
私も最初にこのお皿を見たときは、そんな印象を受けた。タケオさんのお花と猫ちゃんの世界を少し意識して選んだお皿。気づいてもらえて、嬉しい。
『これはね、我らがマリコ先生の作品でございます』
一瞬、間があってタケオさんが咳き込む。
『え? この絵?』
『そう。驚いた?』
『確かに、伯母は趣味の多い人だけれど…』
タケオさんはほんの少し戸惑ったような笑顔になって、言った。
『マリコ母さんには、かなわないね。トラジャ、もう1杯いただこうかな』
『かしこまりました』
離れた席に座っていた女性の2人連れが、お会計にきて、タケオさんに気づく。そして、少し遠慮がちに
『ニット作家のタケオ先生でいらっしゃいますよね? ファンです。サインしていただけませんか?』
と言って手帳を出す。
タケオさんは、にこやかに応じる。
女性たちが出ていった後で、タケオさんは
『サインなんてね、柄じゃないんだけど、お声をかけて頂くことが増えたから、考えてみたんだよ』
と言って、メモパッドに書いて私にも見せてくれた。
『新しいご本にも、是非、サインしていただきたいです。先生!』
『栞ちゃんまで、先生はよしてよ』
『うふふ。新しい本、あのお2人にも届くといいわね』
たくさん本も出して、名前を知られるようになり、その端正な顔立ちのために一部のファンからは『王子』と呼ばれている。だけど、根が職人気質のタケオさんはもてはやされるのが、どうにも苦手みたい。今回の本でタケオさんの気持ちがうまく、ファンの人たちに届くといいな。トートバッグから顔を覗かせている三毛ちゃんを見ながら、私はそう思っていた。