最近、うちのオリジナルの『栗の町ブレンド』の売上が伸びてきている。ありがたいことなのだけど、グラフのここだけが盛り上がっていて、妙な気持ちだ。他の豆はいつもと変わらないのに。
この店のオーナーのマリコさんの娘であるミユキさんも要因になっているようだ。今日も、ミユキさんから『栗の町ブレンド』の注文メールが届いた。自宅用とギフト用の合わせて3キロだ。ミユキさんのまわりにだって、いくらでも美味しいコーヒーはあるだろうに。だけど、このブレンドは俺がこの店を任されるようになって、初めて手掛けたものなので、気に入ってくれる人がいるのは、やっぱり嬉しいものだ。
梱包をして、一息ついていると引き戸がガラガラと音を立てる。ヨシコだ。
『おはよう。サトルちゃん、ホット』
『おう。仕込み、できたのか?』
『ばっちりよ。ねえ、食パンある?』
ヨシコはうちのサンドイッチ用の食パンに、自分の店から持ってきた玉子焼きをはさんだ。
『玉子焼き、出来たてだから、おいしいよ。一緒に食べようよ』
たしかに、ふんわりとよい匂いがしてくる。ヨシコのおにぎり屋では朝食メニューに、玉子焼きと味噌汁を添えている。
『栗の町ブレンド』は玉子焼きとも、よく合う。大きなマグカップ、2人ぶんを淹れる。
『玉子焼き、美味いな』
『誰が作ったと思ってるのよ』
『はい、はい』
『コーヒーも、おいしいね』
『誰が淹れたと思ってるんだよ』
『はい、はい』
『大きな段ボール、配送用?』
『ああ、ミユキさんがたくさん注文してくれたんだよ』
『ミユちゃま、きっと生徒さんたちにプレゼントするんだわ』
ヨシコの話によると、ミユキさんはコーヒーの淹れ方を教えに行っている製菓学校の生徒さんたちに、色々な町の喫茶店のコーヒー豆をプレゼントしているらしい。『どこの町でも、おいしいコーヒーとお菓子が誰かの心を解きほぐしている。そういうことも想像しながら、お菓子作りを楽しめるといいね』というメッセージが込められているそうだ。
俺はこの前、出張でこの店に来たミユキさんの姿を思い出す。このカウンターで、モンブランの万年筆を手に、一生懸命メモを取っていた姿。製菓学校の講師の仕事は、是非に、と頼まれて始めたことらしい。本業は、喫茶店を経営する会社の取締役なのだから。だけど、ミユキさんはどちらにもちゃんと向き合う。
ミユキさんの万年筆を見て、俺も学生の頃に集めていた万年筆を久しぶりに、抽斗の奥から出してみた。その頃は『作家になりたい』などと思っていたんだ。それで、奮発してモンブランの万年筆も数本、手に入れた。我ながら、微笑ましい。
作家になるのを諦めてから、喫茶店の仕事に辿り着いたのは、マリコさんの影響が大きい。マリコさんのコーヒーを飲んでいなかったら、俺は他の仕事を探していたと思う。誰かの心を動かす1杯のコーヒー。マリコさん、ミユキさん親子にとってコーヒーとは、どんな存在なんだろうか。いつか、ちゃんと聞いてみたい。
俺の『栗の町ブレンド』は、お菓子職人のたまごたちに何かを伝えられるのだろうか。強いて言うなら『道はいくつだってあるよ』ということかな。
『サトルちゃん、ホットおかわり』
ヨシコは、この店のどのコーヒーも『ホット』という一言で、片付けてしまう。俺もマリコさんの域になったら、ヨシコも豆の違いに、目を向けるようになるのかもしれない。