ことのはカフェ

カフェに纏わる由なしごとをそこはかとなく綴ります。

サトルさん 4

モンブランの上にのった栗を一口で食べて、ミユキさんは言った。
『私たちが子どもの頃って、モンブランと言えば黄色い栗のペーストに黄色い栗がのっていましたよね』

年齢不詳だと思っていたが、黄色いモンブランを知っている年代なんだな。
『そうそう、土台もカップケーキみたいでね。今みたいな茶色のモンブランを初めて食べたのは、確か高校生の時でしたよ』
『私は中学生でした。母が宝物を見せるように、ケーキ屋さんの箱を開けたのをよく憶えています』
『ずいぶんお洒落になっちゃってね。だけど、俺はやっぱりあの黄色いモンブランも好きですね。毎年、新栗の時期には黄色いのと両方出していますよ』
『じゃあ、また出張に来ないと』
『ぜひぜひ、今度はマリコさんもご一緒に』
『はい、連れてきますね。最近は家の近所の店に出ていることが多くて。海外にも出かけていませんし』
『意外ですね、あのマリコさんが。あ、そうだ。ずっと前にマリコさんからもらった外国のお土産があるんですよ』

カウンターの抽斗の奥から、ガラスの文鎮を出して、ミユキさんに手渡す。
『ペーパーウェイト、ですかね。これを母が?』 
『この葉っぱの彫刻、よく見たら栗の葉っぱみたいだと思いませんか?』
ミユキさんは文鎮を透かすようにして、眺める。
『そうかもしれませんね。この、ちょっと細長いような』
『南フランスのお土産だそうですよ』
『あー! それなら、きっとそうですね。あの辺では栗の葉っぱで包んだチーズがありますものね』


『これ、手紙用品のディスプレイに使ったらいいと思いませんか?』
ミユキさんの『栗をテーマにした展開』という言葉が俺の中でも、楽しそうに踊り始めているようだ。栗農家のおじさんとおばさんの顔や、この店にケーキを届けてくれているパティシエのタツオの顔が浮かんだ。この人たちもきっと、この企画に惜しみなく協力してくれるだろう。


『母の気まぐれにお付き合いいただけて、嬉しいです。この時代に手紙だの、万年筆だのって勘弁してくれ、と言った店長さんもいらっしゃるので。まあ、お気持ちもわからなくはないですけれどね』
ミユキさんは少し淋しそうに笑った。

『俺は、昔からあるものもいいと思いますよ。うちの息子なんかも俺が若い頃に買ったレコードをよく、聴いています。音に深みがある、なんて言いながら』
『頼もしいですね』
『本当に、わかっているかどうかはともかく。だけど、親父としては嬉しいものですね』

たいせつなものを共有できる相手がいることは、いいものだ。マリコさんもミユキさんというよき理解者がいてくれて頼もしいことだろう。この企画、お客さんたちにも響くといいな。
ミユキさんはポットのケニアカップに注いだ。

例えば、そうだな。栗の渋皮色のインク、栗が描かれたカードやレターセット…それを使って、ここでコーヒーを飲みながら、お客さんたちがたいせつな人に手紙を書く。カウンターから、そんな様子が見えたら、きっと楽しいだろう。

『ミユキさん、栗の渋皮色のインクって使い勝手よさそうじゃないですか?』
『あら、私も渋皮色は絶対に扱いたいって思っていたところです。意見が合いましたね。3色ぐらい作れたらいいかな、と思っています』

また、引き戸がからからと音を立てて、開く。カルチャースクールの生徒さんたちが入ってきた。
『店長さん、こんにちは。ちぇすとなっとーすと4つとホットも4つくださーい』

ミユキさんが不思議そうな顔で
『ちぇすとなっとーすとって、なんですか?』
と、聞いてきた。
『バターのトーストに栗きんとんをのせたものなんですよ』
『美味しそう。私も、次に来たらそれをいただくわ』

次に来たら、か。サンダル履きでぶらぶらと来られる距離ではない。だけど、また引き戸が開いて、立っていたのがミユキさんだったとしても、もう驚かないだろう。『遠いところを、お疲れさま』と、極上の1杯でもてなしたい。