ことのはカフェ

カフェに纏わる由なしごとをそこはかとなく綴ります。

サトルさんとモンブラン 11

引き戸がガラガラと開いて、ヨシコが入ってくる。手には近所の電器店のエアコンの広告が載った団扇とコンビニのレジ袋を持っている。夏には、この入口に風鈴でも下げたら涼しげだろうと思うのだが、ヨシコの開け方で吹っ飛ばされるのではないかと、ずっと躊躇している。 『おはよう。サトルちゃん、ホット。めちゃくちゃ暑いね』 『ホットでいいのか?』 『ほっといてよ』 暑さのせいか、普段は俺の駄洒落を見事に素通りする筈のヨシコの口からも、こんな駄洒落が出る。素人だな。 『ねえ、サトルちゃん。ガラスの小鉢ある?』 『いくつ使う?』 『ひとつでいいわ。それから、ラップと』 ヨシコはコンビニのレジ袋から何か出して、小鉢に移してラップをかけた。 『冷やし汁粉、冷蔵庫に入れておくといいわ。休憩に食べて』 ヨシコはどちらかというと、酒肴のようなものの方が得意の筈だ。 『おまえ作ったの?』 『姉さんよ。暑くなると小豆が煮たくなるのよ、昔から。面白い癖だわ』 サワコさんにそんな一面があったとは、知らなかった。 『シュークリーム、きのうのだけど、食うか?』 『ありがとう。もらおうかな』 おやつのやり取りをする小学生みたいだな。まあ、ヨシコとの付き合いは小学生よりもまだまだ古いわけだけど。 引き戸がカラカラと鳴って、この店ではあまり見かけないスーツ姿が。 彼は店の隅にある小さなテーブル席に座って、キリマンジャロを注文した。そして俺が書いた『万年筆、お貸しします。オリジナルのインクもあります』という貼り紙を見て、万年筆は どんなのがあるかと聞いてきた。 『モンブランが多いですが、日本のものも書き味がいいですよ』 『カランダッシュはないの?』 『あいにくですが』 『そう。じゃあ、モンブランでいいよ』 と、うちは文房具屋ではない。コーヒー屋だ。何だか納得いかないぞ。彼は俺のモンブランを使って、ホテルの便箋に何か書き始めた。その筆蹟に見覚えがあった。右あがりで少しだけ、ねじれた文字…これは、中学のときのトオル? 『もしかして、トオル?』 『あ? なんで?』 『俺、サトルだよ。2年の時、同じクラスだっただろ?』 『サトル! あの推理小説書いてたサトル?』 ヨシコがカウンターでクスクス笑っている。 『そうだよ。おまえ、どうしたの?』 『推理してみろ』 『初恋の女の子を探しにきたとか?』 『お、意外といい線だぞ。だけど、探しているのは女の子じゃない』 『もしかして、俺を探しにきた?』 『おいおい、頼むよ。俺さ、百貨店にいるんだけど、和菓子の催事があってさ。子どもの頃に食べていたこの町の栗のことを思い出したんだよ』 和菓子か。洋菓子だったら、タツオを紹介できるんだけどな。和菓子屋はこの近所にはない。 『百貨店の催事に出店したことがない店を探しているんだ』 『栗農家のおばちゃんなら、どこか知ってるだろ? 聞いてみたらいいよ』 トオルはコーヒーをひとくち飲んで、躊躇いながら、ぼそぼそと話し出した。 『俺さ、中学のとき、ラジカセでかい音で鳴らしながらチャリで栗畑の中、走り回っていたから、どうも気まずくてね』 『元気だな。わかった。俺が聞いてやる』 『ありがとう。頼むよ。カウンターにいるの、奥さんか? 美人だな』 トオルはお愛想とも本気とも、どっちつかずの言い方をした。ヨシコがカウンターから大きな声で 『サトルちゃん、ホットおかわり』 と言う。 『おまえ、俺の小説の犯人、1回も当てたことなかったよな』 『違うのか?』 『推理してみろ』 『当てたら、このモンブランが賞品になるとか?』 『お客さまは先程、カランダッシュはないのか、とおっしゃいましたよねぇ?』 『悪かったよ。やっぱりモンブランもいいもんだな。渋いねぇ、サトルちゃんは』 まったく、変わらないのは筆蹟だけじゃないようだ。それにしても、ヨシコを『奥さん』と間違えたのは、トオルが始めてだ。俺のモンブランは、これからも百貨店ではなく、喫茶店で活躍してくれるだろう。だけど、和菓子の催事が成功したら、そのご褒美にモンブランのボールペンなんかをプレゼントするのも悪くはないな。