ことのはカフェ

カフェに纏わる由なしごとをそこはかとなく綴ります。

栞さんのボンボニエール 19

ミユキさんは朝が弱い。忙しくなるのはランチタイムの少し前からだから、それに合わせてくれるだけでも十分に助かるのだけど、最近は製菓学校のお仕事が休みの日には朝の仕込みまで手伝ってくれる。それにしても、きょうはいつもに増して眠たそうだ。 『ミユキさん、寝不足?』 『わかる? きのう、ママと遅くまで飲んでたのよ』 マリコさんはワインを1本持って来て、飲みたいけど1人で1本は空けられそうにないから、付き合いなさいよと言ったそうだ。そして 『どうせ、あなたのことだから、暑いからってそうめんばかり食べているんでしょ? たまには違うものも食べないと…』 と、ミユキさんのキッチンで料理を始めた。ミユキさんはその言葉に少し『きゅん』としたと言って笑った。私もつられて『きゅん』となった。 『だけど、さすがはマリコさんよ。何を作ったと思う? もりそばよ。信じられる? きゅんとなった私が馬鹿だったわ』 ミユキさんは一瞬、眠気を忘れたように言った。 『マリコさんらしい話だわ』 最近マリコさんは、国産ワインとお蕎麦という組み合わせがお気に入りらしく、それをミユキさんにも味わわせたかったらしい。 ミユキさんは続けた。 『飲みながらね、ママが集めていた老人ホームの情報のこと、聞いてみたのよ。まだ内緒、なんですって。でも、自分のためじゃないということだけはわかったわ』 マリコさんが老人ホームに、ということじゃなくて私もホッとした。マリコさんには、まだまだ活躍してもらいたい。 『ミユキさん、最近ちょこちょこお店に来てるなら、ブルーベリーのパイ、また作ってよ』 ランチタイムに現れた開店以来のお客さんが言う。確かに絶品なのよ。1度、レシピを聞いて再現しようとしたけれど、あの味にはならない。もっと、言って! 私も食べたい。 ここは現在22店舗あるマリコさんの店の2店目の店だった。なので、年配のお得意さまの中にはミユキさんの学生時代を知っている人も。 『あの、セーラー服を着ていたミユキちゃんがねぇ。今じゃ、副社長さんなんだから』 と、目を細める。 慌ただしいランチタイムの後、少しだけゆったりとした時間が。 『ミユキさん、セーラー服だったの?』 『そうなのよ。涼しげに見えて、意外と通気性がよくないのよ。あれ』 『女子なら1度は着てみたい、って言うけどね』 『栞ちゃんは? ブレザー?』 『そうなの。中にね、あの前衛アーティストさんのかぼちゃの絵のTシャツを着て、先生に怒られたわ』 ミユキさんは後で食べよう、とランチタイムに余分に作っておいたかぼちゃコロッケを四角い皿に並べる。2人で6個は多いかもね。 かなり遅くなってから、トモノリさんが入って来る。 『栞さん、まだいい? あ、ミユキさんめずらしいね。久しぶり』 『いいわよ。コロッケあるけど、食べるでしょ?』 ミユキさん、トモノリさんが来る前提でコロッケを6個にしたのかしら? こういう時、トモノリさんはカウンター席に座る。私たちの真ん中にいつものボンボニエールを置く。ウィスキーボンボンとかぼちゃのコロッケ、そして、コーヒー。おかしな組み合わせ。年齢が近い私たちは、また学生時代の話になった。ミユキさんは夏休みの宿題をためてしまう子だったみたい。トモノリさんは余裕を持って取りかかっていた、と言う。さすが、経理課長さん。私はいつも、兄に手伝わせていた。夕食のコロッケひとつで、問題集10ページ。2個目のかぼちゃコロッケを食べながら、そんなことを思い出していた。