ことのはカフェ

カフェに纏わる由なしごとをそこはかとなく綴ります。

トモヨさん 1

今のマンションに住み始めてから、10年近くが経つけれど、側にこんなお店があったとは知らなかった。サンドイッチが美味しい喫茶店、コーヒーは自家焙煎だって。

ミユキさんがお兄ちゃんに言う。
『まさか、トモノリさんにこんな乙女なお店に案内してもらえるとは思っていなかったわ。奥さんの好み?』
『いや、この間、お取引先の部長と一緒に来たんだよ。家内は紅茶しか飲まないから』

『乙女』か。確かに食器は小花の模様で揃えられていて、スタッフさんのエプロンもフリルのついたものだ。サンドイッチも女の子が食べやすいように、細めにカットされている。

お兄ちゃんは玉子サンドを片手にタブレットを眺めている。
『ここに載っているのも、マリコさんのお店なのか。盆栽を見ながらコーヒーを飲む、とは渋いね。相変わらず、趣味がが広いな。栞さんのところ以外にも、お店があると聞いてはいたけど』

私はスケッチブックをミユキさんに差し出す。
ミユキさんは
『拝見します』
と受け取った。
『この仕草がいいですね。トモヨさんも猫がお好きなんですか?』
『はい。でも、兄ほどではありませんよ』
ミユキさんはクスッと笑って、スケッチブックを丁寧に捲っていく。やっぱり、お兄ちゃんの猫好きは強烈なようだ。

お兄ちゃんは盆栽の曲がった枝を見ながら、自分も体を撚っている。
『木って、こんな曲がり方もできるものなんだね。猫のしなやかさにも、似ているかもしれないな』

『あら、この絵、私、すごく好きです。猫が万年筆でお手紙を書いているんですね』
お兄ちゃんがタブレットから目を離して、スケッチブックを覗き込んで言う。
『なになに? 拝啓、トモノリさま。また、あなたさまのお膝の上でゴロゴロできるのを一日千秋の想いで待ち焦がれております、だって? 僕もだよ。猫ちゃん』
『書いてない、書いてない』
と、ミユキさん。

『お店でも、こんな感じなんですか? 兄は』
『そうですねぇ。お客さまは皆さん猫好きですけど、トモノリさんはダントツですよ』
『ご迷惑、かけていませんか?』
『いいえ、全然』
ミユキさんが寛容な人でよかった。


ミユキさんは、お兄ちゃんの行きつけの喫茶店のオーナーの娘さんだ。今回、お店の企画のためのイラストレーターを探していると聞き、3人で会うことになった。オーナーのマリコさんはタイプの違う喫茶店をいくつか経営しているという。お兄ちゃんがお世話になっているのは、その中のひとつ『猫をテーマにした手工芸品を集めた喫茶店』だ。

猫のいる暮らしが私たちにとっては当たり前だったけれど、奥さんが大の犬好きなので今は猫と暮らすことができない。そんなお兄ちゃんにとって、その淋しさをなぐさめてくれている『とっておきの場所』なのだそうだ。


灯台下暗し、ってこういうことかしらね。まさか、こんな身近にイメージ通りのイラストを描いてくれる作家さんがいたなんて』
『気に入っていただけましたか?』
『もう、期待以上ですよ。どうぞ、よろしくお願いします』

お兄ちゃんは、またタブレットを眺めている。玉子サンドのお皿は空になっていた。コーヒーをひとくち飲むと、今度は私の苺サンドに手を出した。
『痛いっ』
お兄ちゃんの脚に、キック。つい、子どもの頃からの癖が。
『なんだよぉ、もう』
と、サンドイッチにかじりつきながらジロリと私の方を見る。ミユキさんは笑って
『仲がいいのね』
と言った。

私たちは顔を見合わせて、同時に
『それほどでも、ないよねえ?』
と言った。
『ふたりのその言い方、そっくりね』
ミユキさんは、また笑った。