サトルさんとモンブラン 10
風が気持ちよかったから、開店時間までは引き戸を開けっ放しにしておこう。こんなときにはつい、鼻歌のひとつも歌いたくなる。
『おっはよぉー! サトルちゃん、ホット』
ヨシコの『おはよう』にも妙なメロディーが感じられる。ヨシコも俺も歌は上手くないけど、そんな俺たちでも歌いたくなるような天気だ。
ヨシコは手にスーパーのレジ袋を提げていた。いつもの椅子に座ると、レジ袋の中からラップに包んだ大きなおにぎりを2つ出した。
『朝ごはん、まだ食べてないでしょ? 一緒に食べようよ』
『何だ、新作か?』
『新作ってわけでもないんだけどね。タツオくんがよく試作品を作るでしょ? そんな感じ。姉さんの家庭菜園のししとうをもらったから、じゃこと一緒に炒ってごはんにまぜてみたのよ』
『おい、これ、うまいぞ』
『あ、ほんとだ。我ながら、よい出来だわ。お客さんにもお出しできるかも』
『ししとうって、夏のものだろ? 旬のもの、いいんじゃないか?』
開いたままの引き戸から、タツオが顔を覗かせる。後ろには、マドカちゃんもいる。2人揃って来るのはめずらしい。
『サトルさん、おはようございまーす。ヨシコさんも来てたんですねー』
『おい、ずいぶん早いな』
『ケーキ持って来たんじゃないんですよ』
タツオはそう言うと、何かに気がついたように外に出て行った。
マドカちゃんはヨシコの隣に座って
『チーズトースト、食べたいな。頼んじゃってもいいですか?』
と聞いた。
『ケーキセット以外なら、何でもできるよ』
『あー、よかった。今朝ね、お天気がよくていつもより早く目が覚めたの。それで、たまには2人でサトルさんのコーヒー飲みたいねって』
ヨシコやタツオには営業時間は関係ない。俺が店にいるときは何時だろうが、コーヒーを飲みに来る。
栗の町ブレンドを片手に、マドカちゃんがこんなことを言った。
『先週ね、うちの店に外国のお客さんが来たの。おすすめは何ですか? って聞かれて。モンブランをおすすめしたんだけど、緊張しちゃった。身振り手振りでも、どうにかなるものなのね』
よい栗が栽培されている、という以外には何も目立つものがないこの町には外国からのお客さんは話題にする程めずらしいのだ。横浜で生まれ育ったタツオと違って、特にマドカちゃんは外国の人には慣れていない。なので、その格好だの髪型だのをこと細かに話し始めた。ヨシコと目が合う。それって、タツオの伯父さんだよな?
『髭を伸ばしていて、眼鏡をかけていて。アジアの人だと思うんだけど、英語を話していたわ』
ヨシコが笑いをこらえている。何とかタツオの店を伯父さんに見せたいと思った俺たちは冗談半分に『かつらとつけ髭もあることだし、外国の人のふりをしたら気づかれないかも』と提案してみた。伯父さんはそのときは『漫画みたいな話だね』と軽く受け流していた筈だ。伯父さま、お茶目さんだわー、とヨシコの心の声が聞こえるようだ。
『タツオのモンブランが、海外進出する時代がくるかもしれないな』
俺もニヤニヤしているのを気づかれないように、そんなことを言った。
『サトルさん、それ、褒めすぎ』
と言いつつも、マドカちゃんは嬉しそうだ。
タツオが一升瓶を2本持って、入って来た。
『タツオ、何してたんだ? コーヒー淹れていいのか?』
『はい、きょうはトラジャがいいです』
マドカちゃんが
『タッくん、チーズトースト半分こしようよ』
と言っている。
タツオはヨシコと俺に瓶を差し出して
『横浜の伯父が送ってくれた味醂です。そのまま飲んでもうまいですよ。伯父はよく、コーヒーにも入れて飲んでいましたね。店を改装したから、そのうちに遊びに来なさいって、手紙に書いていました。行きたいけど、横浜だと泊まりがけになっちゃうよなぁ…』
と言っている。
そして、チーズトーストを囓りながら
『でも、不思議なんですよ。手紙に、いつもお世話になっているサトルさんとヨシコさんにも1本ずつ差し上げるように、って書いてあるんですよ。俺、2人の名前、伯父に言った覚えないんですけどねぇ』
と、首をかしげた。