最近タツオが店に出る時間が増えたので、
マドカちゃんがゆっくりとコーヒーを飲む時間ができた。
『タッくんったら、店に来る子どもたちに、いつもおいしいケーキをつくってくれてありがとう、なんて言われてニヤニヤしてるの。それで、店は俺が見てるから、ゆっくりコーヒー飲んで来たら、って私に言うの』
タツオが子どもたちに目尻を下げる、というのは意外だったけど、作り手側に直接お客さんの声が届く、というのはお互いにとってよいことだろう。俺もカウンターから毎日、お客さんの様子を見ながら1杯ずつ最高の状態で淹れられるように、と心掛けている。それでお客さんがおいしそうに飲んでくれていたら、やっぱり嬉しい。
『サトルさん、栗の町ブレンドをください。そして、万年筆を貸してほしいです』
マドカちゃんはトートバッグからファイルを取り出した。そして
『これ、クリタロウのポストカード作っちゃった』
と俺に見せた。マドカちゃんが配信している猫のクリタロウ動画には、結構な数のファンがいて、中にはクリタロウにプレゼントを送ってくる人もいるのだという。そのひとりひとりにお礼状を書いたり、時によってはこちらからも贈り物をすることがあるそうだ。
『クリタロウも、タレントみたいだね。
ファンからプレゼントを貰うなんて』
『字が下手で恥ずかしいんだけど、そうも言っていられないし。万年筆で書いたら、下手くそな字でも、味わいがあるように見えるかしら、なんてね』
そう言って、黙々と葉書を書き始めた。まだ混まない時間帯なので、マドカちゃんがモンブランで葉書を書く音がよく聞こえる。俺が文章を書かなくなってからだいぶん経つけど、やっぱりこの音は好きだ。グラスを拭きながら、耳を傾ける。マドカちゃんの字はいかにも若い女の子が書くような字だったけど、本人が言うほど下手ではない。大きさがちゃんと揃っていて、親しみやすい字だと思う。
ガラガラと引き戸が鳴る。ヨシコの休憩の時間か。
『サトルちゃん、ホット』
そして、マドカちゃんが葉書に向かっている姿を見つけると、少しだけ声をひそめて
『あと、クロワッサンも』
とつけくわえた。
『ヨシコさん、お疲れさまです』
『マドカちゃん、隣に座っても大丈夫?』
『あ、全然気にしないで。話し声がしても書けるから』
羨ましい。俺は静かなところじゃないと、書けなかった。やっぱり俺には物を書くよりも、この仕事のほうが合っているのかもしれないな。
『絵はがき、クリタロウ?』
『そうなの。動画を見てくれている方が、クリタロウにプレゼントを送ってくださったの。それで、お礼をお出ししようと思って作ったの』
『クリタロウ、すっかり有名になったわね』
『本人はわかってないけどね』
『そこがまた、よいところだわ。ほめられようが、我関せず、ってね』
『人間だと、なかなかそう超然とはしていられないよな』
『本当にそう思うわ。クリタロウがほめられると、私の方が嬉しくなっちゃうもの』
とは言いつつも、クリタロウ動画が人気なのはマドカちゃんが程よい冷静さを保てているからなのではないか、と俺は思っている。
『サトルさん、栗の町ブレンド、やっぱりおいしいな』
葉書を書く手を休めて、マドカちゃんが言う。栗の町ブレンドは、俺のオリジナルなので、我が子のようなものだ。ここで、ニヤニヤしてしまっては、カッコつかない。
渋くてカッコいい喫茶店の店長なら、こんなときにどんな笑みを浮かべるだろう?
ヨシコはそんな俺の心の中を、見透かしたようだ。ニヤリとして
『サトルちゃん、ホットおかわり』
と言った。マドカちゃんはヨシコと俺の様子を特に気に留めるでもなく、また葉書を書き始めた。