ことのはカフェ

カフェに纏わる由なしごとをそこはかとなく綴ります。

栞さんのボンボニエール 15

きょうは苺のタルトのお客さんが多かったな。伝票の束を見ながら、そう思う。真っ赤な苺は見ていると、元気になれる気がしているのは私だけではない筈だ。赤いものでもうひとつ思い浮かぶのは、カーネーションよね。もうすぐ母の日、何をあげようか。いつものボンボニエールを開けて、小さなミントキャンディをひと粒。

 

伝票を1枚ずつ見ながら、お客さんたちとの会話を思い出す。この量だと1時間ぐらいかかるかしら。まずは、コーヒーを淹れよう。これは八百屋さんのお父さん。競馬で勝ったらしくて、いつもに増してにこやかだったわ。

 

ミントキャンディを食べると、必ずお兄ちゃんを思い出す。子どもの頃、いつも私のボンボニエールからミントキャンディをこっそりと食べていた。そのことで、よく喧嘩したのよね。お兄ちゃんは今年は母の日に何をあげるのかな? 

 

5年前の母の日、お兄ちゃんと私のプレゼントが全く同じものだった、というハプニングがあった。母の好きなブランドの好きな色のカーディガン、見事に同じものが2着、母のところに届いた。

母は笑いながら

『洗い替えがあったら、お気に入りをいつも着られていいわね』

と言ってくれたけど、お兄ちゃんと私は複雑な気持ちだった。それ以来、母の日に何をプレゼントするかを事前に確認し合うようになった。

 

この時間なら、ゆっくり話せそう。電話してみよう。

『ああ、栞か。今ちょうど、おまえさんが送ってくれたコーヒーを飲んでいたところだよ』

お兄ちゃんの声に混じって、テレビの音と姪の笑い声が聞こえる。相変わらず、長閑な家だわ。

『今年、母の日どうするの?』

『ああ、そんな時期だな。おまえさんはもう決めたのか?』

『今年はひざ掛けにしようかと思っているの』

『そうか。じゃあ、俺はコンサートのチケットにしようかな。聴きたがっていたピアニストがコンサートをするみたいだから』

『一緒に聴きに行くの?』

『どうして? 友だちとでも行く方がいいだろう』

『聞いたわよ、お兄ちゃんがピアノ習い始めたこと』

『まったく、耳が早いな』

『いいじゃない。素敵だわ。いつか、ラ・カンパネラを弾いてよね。あの曲、大好きなのよ』

『おいおい、ずいぶんとハードルを上げてくれるじゃないの』

 

お義姉さんの話だと先月、家族で苺農園に遊びに行った町で立ち寄った喫茶店にピアノが置いてあって、それを格好良く弾いている紳士がいたそうだ。お兄ちゃんは、じっとその様子を見ていて、その日の夕食の席で『ピアノ始めます』宣言をしたという。お義姉さんも姪も、びっくりしたけれど『ピアノ弾けるお父さん、悪くないかも』と応援することにしたのだそうだ。

 

お兄ちゃんの家の猫ちゃんは、新聞を読んでいるところをよく、邪魔する。ピアノの練習も邪魔するらしい。お兄ちゃんが『ラ・カンパネラ』を格好良く弾けるようになったら、猫ちゃんもおとなしく聴いてくれるようになるかもしれない。