タツオの店は今、いそがしいだろうか。ケーキのおかわりをしないと、午後からのお客さんのぶんが足りないな。と思っていると、ヨシコがガラガラと引き戸を鳴らして入ってきた。
『サトルちゃん、ホット。あと、何かケーキ食べたい』
『ちょっと待ってろ。今、タツオの店に電話しようとしていたところだ』
受話器から、タツオの機嫌の良さそうな声が聞こえる。ちょうど、モンブランができたところだから、との返事だ。
『ヨシコさん、暇なんですか?』
タツオはカウンターに座っているヨシコを見て、意外そうに言う。
『おむすび屋ブリジットに、暇という文字などあるわけないじゃないの。ケーキ、見せて』
タツオは『ジャーン』と効果音でも鳴っていそうな顔でケーキの箱をヨシコに見せる。
春らしい淡い色合いのケーキと一緒に、定番のモンブランが整然と並んでいる。宝物の箱みたいだ。
『やっぱり、モンブランは人気あるのね』
『そりゃあ、栗の町ですからねぇ。そして、きょうはもうひとつ、ちょっとしたおまけがあるんですよ』
そう言って、タツオはケーキの箱の半分ぐらいの箱を開けて見せた。
『これも、モンブランよね? いつものより、かなり小さめだけど』
タツオはにやりとして
『モンブランと見せかけて、これね、おはぎなんですよ。伯父が餅米をくれたから、作ってみました』
『おはぎって、あんこだけじゃないんだな』
『ケーキのペーストより、クリームを控えてあるんです。意外と上手くできたと思うんですけどね』
ヨシコが早速、食べてみる。
『あ、ほんとだ。モンブランよりも、食感があんこに近い。ほっこりして、やさしい味だわ。作った人には、似てないけどね』
『一言多いですねぇ』
ヨシコとタツオの空気は、いつでもこんな感じだ。
『餅米の加減もいいし、コーヒーにも意外と合いそうだな。うちのメニューに欲しいよ』
『やっぱり、サトルさんはやさしいなぁ。ペーストも10種類ぐらい、試したんですよ。餅米に合うように』
ヨシコは澄ました顔で、おはぎの2つ目に手を伸ばした。
『おはぎと言えば、あの話はどうなったんだ?』
『ああ、仕事の合間に少しずつ書いてるわよ。だけど、難しいわね』
『ヨシコさんでも、悩むことってあるんですね。何のことか知りませんけど』
タツオよ、ヨシコはざっくばらんに振る舞っているけれど、ちょっとは繊細なところだってあるんだぜ。
『お芝居の脚本を書けって言われているのよ。インターネット動画の』
『おはぎが好き過ぎて、おはぎの着ぐるみを着ているおじさんの話って言ってたよな?』
『おじさん? おばさんじゃなくて?』
タツオが不思議そうな顔で聞いている。『おはぎの着ぐるみ』という設定には違和感はないのか?
『大学のときの演劇サークルの先輩が、劇団を持っているの。そこの新人女優さんを紹介するための動画なのよ。昔のお前みたいな女優だからお前が脚本を書け、って』
確かにヨシコは劇団時代は、かなり個性的な名脇役だった。
『だけど、何でその設定なんですかね? 俺も、栗やモンブランは好きだけど、着ぐるみを着たいとは思わないですよ』
『意外と似合うかもよ』
と、ヨシコが真面目な顔で言う。
『勘弁してくださいよー』
ヨシコはコーヒーをひとくち飲むと、続けた。
『先輩の好物なのよ。だから、おはぎの着ぐるみを着たおじさんを主人公にしてくれ、と言ったんだと思う。だけど、なかなか書き進まないの』
『ヨシコさん、おにぎりの着ぐるみ着てみたらイメージ膨らむかもよ』
『他人事だからって、タツオくんは。それに、おにぎりじゃなくって、おむすびよ』
『まあまあ』
『まあ、このおはぎ食べてリラックスしながら書いてくださいよ。公開されたら俺も観ますよ』
2人のやりとりを聞きながら、俺はヨシコの先輩がヨシコをまた女優にさせたいと思っているような気がしていた。ヨシコは今のおにぎり屋が心底、楽しいんだろうと思う。それは、ヨシコの『演技』ではないことを毎日見ている俺は信じている。