栞さんのボンボニエール 18
カラン、コロンとドアベルが鳴って入って来た顔を見て少し驚いた。
『タケオさん、おはようございます。こんな時間にめずらしいですね』
声を聞いて、さらに驚く。
『おはようございます。栞ちゃん、お手数かけて悪いけど、フレンチトーストとカプチーノをください』
個性派シンガーみたいなハスキーボイス。いつものタケオさんの声からは想像もつかない。
『風邪ですか?』
声を出すのがつらいらしく、黙って頷く。いつもならカウンターに座るけど、私や他のお客さんにうつしては申し訳ないと離れた席に座る。さすが『王子さま』だわ。
タケオさんは、お水を飲んでいくらかは喉が楽になったのか、雑誌社の方から『秋の新作』を依頼されてモコモコの毛糸を扱っていたら、ついエアコンの温度を下げすぎて、そのまま朝まで仕事をして風邪をひいてしまったのだ、という話をした。朝ごはんに玉子雑炊を作ろうとしたけれど、気力が足りなくて、代わりに少しだけ似ているフレンチトーストを食べようと思ったそうだ。
『やっぱり、誰かに作ってもらったものを食べると元気が出るね』
タケオさんは、そう言って笑った。ランチタイムに来てくれる主婦の皆さんも、そういう気持ちなのかもしれない。
ボンボニエールにはちみつレモン飴を入れておいて、よかった。のど飴がわりになるわよね。お水を注ぎに行って、そっと渡した。
タケオさんの風邪の話を聞いたら、店のエアコンの設定温度が急に気になり始めた。皆さんに寒くないか確認する。寒そうなお客さんにはひざ掛けを。タケオ先生の作品だ。
夕方になって、ケイタくんが入って来る。きょうは授業をサボらなかったのね。ご褒美に、ボンボニエールからはちみつレモン飴を渡す。
『さつまいものはちみつレモン煮ってあるよね?』
ケイタくんはマリコさんから『さつまいもを美味しく食べるには』という課題を出された。なので、このところ私たちの話題の中心は『さつまいも』になっている。和歌なんかの世界では恋人のことを『いも』というけれど、今のケイタくんにとっては本当にお芋が恋人みたいだ。
『はちみつレモン煮だと、お弁当のおかずみたいね』
『そうだね。コーヒーの友って感じじゃないよね。だけど、どうして夏にさつまいもなんだろう?』
『ファッション業界みたいね』
私はタケオさんのことを思い出して言った。
『ファッション業界…』
ケイタくんは頬杖をついて考え込んでしまった。ごめんよ。余計なことを言って、悩ませてしまったかも。だけど、お芋を真剣に見つめている姿が何だか可愛らしく見えてしまう。頑張れ、未来の同僚よ。そのうち、必ずよいレシピが浮かぶよ。
そう思っていたところに、ケイタくんは顔を上げて言った。
『クーラーで冷えた体を焼き芋で、いたわるとか?』
さすが、おばあちゃん子。視点がやさしい。
『シナモンも、体をあたためるよね?』
少しずつ、考えがまとまってきたみたい。鞄から、ノートとペンを出して書き始めた。
奥のテーブル席のお客さんが
『ひざ掛けを貸してください』
と言った。早速、タケオ先生のひざ掛けをお持ちする。猫ちゃんの顔の形のモチーフをつなぎ合わせたものだ。タケオさんの風邪、早くよくなるといいな。