カラカラと引き戸が鳴る。
いつもの郵便配達の青年が1通の手紙を差し出しながら
『店長、後でまた寄りますからモンブラン、俺のぶんも取っておいてくださいね』
と言う。差出人はこの店のオーナー、マリコさんだった。
相変わらず、達筆だな。知り合いに陶芸を趣味にしている若い女性がいて、その作品がなかなかよい。だから、店の一角で展示会をして欲しいのだが、そちらの都合はどうか、という内容だ。カウンターの抽斗から、便箋とモンブランの万年筆を出す。この店のお客さんは近所のカルチャーセンターの生徒さんも多い。だから興味を持ってもらえるのではないか、という旨を綴る。
普通の会社なら、こういう遣り取りはメールか電話だろうに、何日もかけて県を超えて手紙が行き交う。効率の面から考えるとあり得ない。だけど、俺はこの流れが嫌いではない。マリコさんの手紙は便箋や封筒にも凝っていて、時には文香が同封されていることだってある。万年筆のインクなんかはわざわざ好みの色をオーダーしているらしい。漱石先生の小説によく登場する『高等遊民』とはこういう人なのだろうか、と俺は思っている。
ガラガラと引き戸が鳴る。
『おつかれー。サトルちゃん、ホット。それから、玉子サンドも』
ヨシコはダウンベストを椅子の背もたれに掛けて座る。ここまで来るのに100歩もかからないだろうに、重装備だな。
『きのうね、先生が来てくれたの。お孫さんと一緒に。サトルちゃんにもよろしくって』
『そうか。お孫さん、大きくなっただろ?』
『3年生だって。おむすび8個も食べてくれたわ』
お孫さんはヨシコのところのおにぎりが気に入っているらしく、先生の家に遊びにくると必ず『おにぎりのお店に行きたい』とせがむそうだ。
先生は俺たちの小学校の担任だった。作文に『女優になりたい』と書いたヨシコと『作家になりたい』と書いた俺をからかった同級生がいた。だけど、先生は
『サトルくんが書いた小説が映画になって、ヨシコさんが出演したら観に行くよ』
と励ましてくれた。定年退職した今でも時々、この店にコーヒーを飲みに来てくれている。
カルチャーセンターの後のお客さんたちが見え始める。この方たちはウクレレ教室の生徒さんだ。講座ごとに生徒さんたちのカラーが違っていて面白い。今頃だとカリグラフィーの講座の時間だろうか。多分、うちのお袋さんと同年代の白髪をきれいに纏めたお客さんが毎週寄ってくれている。そのお客さんはガトーショコラにブラジルが定番だ。いつも、食器まで褒めてくれるので、俺も選ぶ甲斐がある。マリコさんが企画している展示会も、楽しんでもらえるかもしれないな。さて、きょうはどのカップを用意しようか。