ことのはカフェ

カフェに纏わる由なしごとをそこはかとなく綴ります。

イネコさん 4

ティピカさんはお父さんの膝の上で、すっかりと寛いでいた。ときどき喉をゴロゴロと鳴らしている。お父さんはブルーマウンテンを2杯飲み終えると、腕時計に目をやって
『今からゆっくり歩いて行ったら、次の汽車に乗れそうだな』
とつぶやいた。

ママがカウンターから出て、ティピカさんをお父さんの膝の上から抱き上げる。ティピカさんは、ちょっと厭そうに低い声で『ニャー』と言ったが、ママの腕におとなしくおさまった。しっぽが物言いたげに揺れている。

『ティピカ、今度はティアラも連れてくるからな』
そう言うと、お父さんは身につけてきたカシミアのマフラーをティピカさんにふわりと被せて
『きょうはおまえには、おみやげがなかったからな。かわりにこれをやるよ』

それを見たママはカウンターの後ろの休憩室に入って行くと女性用のマフラーを持ってきて、お父さんの首にかけた。
『風邪ひかれたら、かなわないわ。これあげるから、巻いていって』
『おいおい、これを俺がするのか?』
マフラーは猫の顔の形のモチーフをつなぎ合わせたものだった。
『そうよ。いいじゃない、猫のモチーフが素敵でしょ? 今、女性に人気のタケオ先生の新作よ。限定品だったのよ』
『いや、そういう問題じゃ…』
『つべこべ言わないの。老いては子にしたがえって言うでしょ』

普段はアルトの声で、ゆったりと話すママがぽんぽんと言葉を投げかけている。お父さんは私の方を見て、肩をすくめた。
『じゃあ、ユキエお姉さんによろしく。梅酒のおかわり送って欲しいって伝えておいてね』

閉じたドアのベルがカラカラと鳴っている。
『ネコちゃん、お騒がせしてごめんなさいね』
ママはいつもの口調に戻っていた。ティピカさんはお父さんのマフラーの上で、ぐっすり眠っている。

最初お父さんを紹介された時、一瞬の間が空いたことが少しだけ、気になっていた。この店に通い始めて10年ちかく経つけれど、ママはあまり自分の話はしない。

ママはある日、ふらりとこの町に現れて、ふと気がつくと、この喫茶店もできていた。ここは元は空き家だった。都会から自給自足生活に憧れてやって来た若い夫婦が2年程、暮らしていたけれど、理想と現実の違いを目の当たりにして、また都会に帰っていった。

口数は決して多くはないのだけれど、いつの間にかママはこの町に馴染んでいた。ママが淡々と淹れるコーヒーが、その人柄を雄弁に物語っているのかもしれない。

『ブルーマウンテンのおかわりをください』
温泉まんじゅうのおかわりも、ご一緒にいかがですか?』
『喜んで!』
ママはブルーマウンテンを静かに挽きはじめた。
目を覚ましたティピカさんが、ゆったりと伸びをして、高そうなカシミアのマフラーにしっかりと爪を立てた。