ことのはカフェ

カフェに纏わる由なしごとをそこはかとなく綴ります。

タケオさん 4

ミユキちゃんは喫茶店に来ると、よく
『やっぱり、人に淹れてもらうコーヒーは美味しいわねぇ』
と目を細める。その表情はマリコ母さんが膝の上の猫を撫でているときの顔と、よく似ている。

そんなミユキちゃんだって、マリコ母さんに『巻き込まれている』とき以外は心の友、栞ちゃんの喫茶店の手伝いに行ったり、製菓学校に招かれて、コーヒーに関する講習をしに行ったりする程の腕前なのだ。

オレンジ色の髪のスタッフさんが僕たちの前に置いていってくれた追加注文のコーヒー、確かにこのお店も新鮮な豆を使っているのだということは、わかる。だけど、これはボタンひとつで淹れられたコーヒーであることは間違いないだろう。今回、ミユキちゃんがこのお店に来たがった理由が僕にはよくわからなかった。

『それにしても、お茶碗でコーヒーもずいぶんと表情を変えるものね』
ミユキちゃんがふと、こんなことを言う。
『ホルダー付きのガラスのカップって、昭和時代の引き出物みたいって思ったけど、若い人には新鮮に見えるのかもね。私はマキちゃんのところのような食器が好みだわ』

『気になっていたけど、マキさんのお店って、もしかして陰翳礼讃をテーマにしていない?』
『あ、わかった? 陰翳礼讃をテーマにしようって、マキちゃんの旦那さんの提案なのよ。愛読書なんですって』
『道理で、この羊羹が際だつわけだね』
『羊羹もね、何度も型を変えてようやくこの大きさに落ち着いたのよ』
『谷崎先生のファンとしては、嬉しい話だな。その旦那さんにも会ってみたいね』
『ヨシユキさんっていってね、職人気質の人だから、きっとタケちゃんとも話が合うと思うわ』

『陰翳礼讃』はヨシユキさんが高校を辞めるときに、国語の先生がプレゼントしてくれた本だという。姉のような若い先生で、煙草で退学になるのを何とか庇おうとしてくれたそうだ。婚約者だった学年主任の先生との関係を壊してまでも。

ミユキちゃんは話しながら、ちょっと目を潤ませて
『ドラマの中の熱血先生みたいよね』
と言った。知識以上のものを伝えられる先生…。ヨシユキさんにとって、貴重な出会いだったのだろうな。

ミユキちゃんと僕は同時に、ホルダー付きのガラスのカップを持ち上げてコーヒーを飲んだ。
『あ、真似した』
『そっちこそ』
笑みがこぼれる。そのとき、黒いおかっぱ頭の学生さんっぽい女性が近づいてきた。

『あのー、ニット作家のタケオ先生、ですよね?』
『はい、そうです』
『ファンなんです。よかったら、一緒に写真撮ってもらえませんか?』
そのお嬢さんは、自分と僕を撮った後も僕だけを色々と角度を変えて撮っている。タレントさんの撮影会というのは、こんな感じなのかな。

『あ、笑ってくださーい。そして、顎に指を当ててみてくださーい。そうです、そうです』
お嬢さんの堂々とした口ぶりにつられて、つい僕もポーズをとってしまう。恥ずかしい。

お嬢さんは『これ、待ち受けにしますね』と、言い残し、満足そうにお店を出て行った。お嬢さんの後ろ姿を見送りながら、僕は真夏にもこもこのセーターを1枚編み上げたような気持ちで、カップに残っていたコーヒーをごくごくと飲み干した。

『タケちゃん、ごくろうさま』
ミユキちゃんが少し、困ったように微笑む。
『私、タケちゃんの知名度を低く見積もり過ぎていたみたいね。若い人のお店なら、タケちゃんを知っている人には会わないだろうと思ったんだけどね』
そうか、このミユキちゃんらしくないお店は、僕に気を遣って選んでくれたのか。ありがとう。

確かに、編み物の本やDVDを出すごとに街中で知らない方たちからも、お声を掛けていただくことが増えてきて、戸惑うこともある。タレントさんでもないのに、サインを求められることや携帯電話で写真を撮られることもよくある。

だけど、作品よりも僕自身に関心が向いてしまうのだとしたら、それは作品に力が足りていない、ということなのかもしれない。僕はまだまだ見習い小僧なんだな。さあ、気を取り直して次の作品をよりよいものにしよう。ね、ごまおはぎ猫さん。そして、ミドリおばちゃん。

『ねえ、ミユキちゃん。まだお腹に余裕があったら、もう1軒寄って行かない? 駅前にサイフォンで淹れてくれる美味しいお店があるんだよ』
ミユキちゃんは僕の顔をまじまじと見て言った。
『私ね、時々タケちゃんって、私の心の声が聞こえているのかもしれないって思うことがあるのよ』