ことのはカフェ

カフェに纏わる由なしごとをそこはかとなく綴ります。

栞さんのボンボニエール 8

ミユキさんはカウンターにずらりと並んだ箱を眺めて、溜息をついた。

『それにしても、この数は尋常じゃないわよね。よく、猫絡みのものをこれだけ集めたものだわ』

閉店時間後、食器を夏らしいものから、秋に似合うものに変更することに。この秋に使うお皿とランチタイム用の小鉢は決まった。あとはカップだ。食器が一部変わるだけでも、グッと秋の気配が増してくるものね。

 

カップ、どうしようか?』

『私、このシリーズが好きだわ。陶器のサビ猫ちゃんみたいな色合いの。この取っ手が猫ちゃんのしっぽみたいで可愛いし』

栞ちゃんって、ときどき家のママみたいなこと言うわね。そうなの。これ、サビ猫なのよ』

『え? ほんとにサビ猫ちゃんだったのね』

『これね、ママのところのサビ猫をイメージして作ったんですって。もう何年前のことかしら』

 

ミユキさんは使わない食器の箱を戸棚に片付けると、椅子にどっかり座りこんで言った。

栞ちゃんカップも決まった事だし、ひと息入れよう』

 

いつものジャムの空き瓶に、100円玉を2つ。そしてカウンターの抽斗から、いつものボンボニエールを。

『見て、可愛いでしょ? このチョコ、猫ちゃんの手の形なの』

『ホワイトチョコ、白猫ね』

『秋には白い食べ物を摂ると、体にいいって言うでしょ?』

『そういう意味じゃないでしょうよ』

と、笑いながらひとつ、口の中へ。

『ミユキさん、何がいい?』

『そうね、深煎りモカにしようかな』

きょうは、私も同じものにしよう。2人ぶんの豆を挽く。

 

『このサビ猫カップの作家さんね、ちょっと不思議な出会いなのよ…』

深煎りモカを飲みながら、ミユキさんは静かに話し始めた。

 

10年ほど前の春のまだ少しだけ肌寒い頃、マリコさんが『アネゴ』と呼ぶサビ猫を抱いて公園を散歩していた時のこと。学生風の女の子が、どんよりとした様子でベンチに座っていたそうだ。マリコさんはアネゴを抱いたまま、その隣に腰をおろした。

『さあ、アネゴ。おやつにしましょう』

そう言って、コートのポケットから煮干しを取り出して猫に与えた。女の子は少し、マリコさんとアネゴから離れた位置に、座り直した。アネゴは煮干しを食べてしまうと、マリコさんの膝の上でうとうとし始めた。

 

『さあ、私もおやつにしようっと。よろしかったら、ご一緒にいかが?』

いきなり、猫を連れた見知らぬおばさんに声をかけられた女の子は、きっとして

『私、猫じゃありません。煮干しなんて食べたくないわ』

と答えた。

 

『私が食べるのは、こっち』

と、マリコさんはもう片方のポケットから、小さな板チョコを取り出した。

『ベルギーのお土産なの。美味しいわよ』

物怖じしないマリコさんの様子に戸惑いながら、女の子は半分に折った板チョコを受け取って、食べ始めた。

『おいしい』

そう言って、ぽろぽろと涙をこぼした。

 

女の子はぽつり、ぽつりと話し始めた。美大の受験に3度失敗しているという。陶芸家を目指していて、自分の憧れの陶芸家と同じ大学で学びたい。だけど、3回目の失敗で、すっかり自信をなくしてしまったのだ、という話だ。

 

マリコさんは黙って聞いていた。その時、うとうとしていたアネゴが急にグッと身を起こして、女の子の方に場所を移した。そして、女の子の膝に両方の前足をのせて『ニャー』と鳴いた。

『あのー、この猫さん、何か言っているんでしょうか?』

 

マリコさんの通訳が始まる。

美大って、にゃーに?』

マリコさんはアネゴの頭をそっと、優しく撫でながら

『さあ、何かしらね』

と答えた。

またアネゴが話し出す。

『ニャニャニャー?』

『え? 美大と煮干しとどっちがおいしいか?』

女の子はアネゴの言葉に、笑いだした。

『あのね、猫さん。美大は食べ物じゃないのよ』

『ニャーン、ニャ』

 

マリコさんが時計に目をやる。

『アネゴ、そろそろ行きましょうか。あなたの好きなドラマ、始まるわよ』

マリコさんはアネゴを抱き上げると、煮干しの入っていたポケットからカイロを出して女の子に渡して言った。

『お邪魔しました。春と言っても、まだ寒いわね。風邪、ひかないでね』

 

マリコさんらしい話』

『でね、その後なのよ』

ミユキさんの話は続く。深煎りモカは大きなマグカップの半分になっていた。

『それから3年後ぐらいかしらね。ママの店に、この女の子が来たの』

知人が偶然、マリコさんのことを知っていて、ここまで辿り着いたのだそうだ。

 

 

女の子はマリコさんに

『いつかは、本当にありがとうございました』

と、小さな木の箱を差し出した。開けると中に、このサビ猫のようなカップが1客入っていた。

『私の初めての作品です』

 

公園でマリコさんとアネゴに出会った後、女の子は家に向かって歩き始めた。途中、ふと目に留まった1軒の喫茶店に立ち寄った。そこで出されたカップに一目惚れしたという。そこで、その陶芸家を紹介してもらい、弟子になったそうだ。

『アネゴちゃんの言葉に、背中を押してもらいました』

 

 

マリコさんが受け取ったサビ猫ちゃんカップの箱には『にぼし最強』と銘が記されていたという。

『え? じゃあ、このカップって、にぼし最強って名前なの?』

『そうみたい』

 

秋に向けて選んだ器たち。マリコさんと陶芸家さんの不思議な出会いに想いを馳せて、たいせつに扱わないとね。