ことのはカフェ

カフェに纏わる由なしごとをそこはかとなく綴ります。

カホコさん 4

先生は2杯目も『黒松ブレンド』にした。どんな味か気になるので、私も同じものにした。妹にだったら『ひとくち頂戴』と言えるのだけれどね。

運ばれてきてすぐに、先生はコーヒーのカップを手にとった。そして、ひとくち飲んで美味しそうに微笑んだ。先生をこんな表情にさせるのは、どんなコーヒーなのかしら? 私も早速、ひとくち。
『熱い!』
思わず、大声になる。私、自分で猫舌宣言していた癖に。こんな静かなお店で、恥ずかしい。かっこつけたいのに、かっこわるいことばかりだわ。

先生は私の大声に一瞬おどろいたようだったけれど、すぐに気を取り直して
『カホコさん、大丈夫? 吾輩も猫舌なんだにゃ。仲間だにゃ。猫舌同盟にゃ!』
と、声色を変えて言った。先生の指には毛糸で出来た水色の猫の指人形がはめられていた。先生は指をひょこひょこ動かしながら
『このコーヒーは冷めても美味しいから、ゆっくりゆっくり、飲もうにゃ』

私は一瞬、呆気にとられたけれど、静かな語り口の先生からこんな声が出ることがおかしくて、笑ってしまった。
『猫さん、心配してくれてありがとう。もう、大丈夫よ』
『それは、よかったにゃ。吾輩もホッとしたにゃ』
先生は私のお行儀が悪いのを気にする風もなく、にこにこしたままだった。

『その猫さんのお人形、可愛いですね。先生がお作りになったんですか?』
『これは、さっきお話しした祖母のお姉さんがずっと昔に作ってくれたものなんです。泊まりがけの講座のときは、少し緊張してしまうので、お守りのようにポケットに入れてくるんですよ』
と、少し照れくさそうに話してくれた。

『先生が緊張するなんて、意外です』
『鉄のような心のおじさんだと思っていましたか?』
『いえ、そういう意味ではなくて…』
戸惑うと、またあのふてぶてしい『ユキ君』の顔が視界に。『そういう意味じゃないなら、どういう意味だ? お前さんはタケオ先生のことをどんな風に思っているんだね? 言ってみろよ』うるさいなぁ、ユキ君は。

『先生のようなプロの方でも、という意味です』
少し間を置いてから、先生は答えた。
『プロ、ですか。僕はまだまだ見習い小僧のようだと思っていますよ』
全国にファンがいて、編み物の本もたくさん出していて、講座を開けばいつも満員なのに、見習い小僧だなんて。

先生のお仕事の原点には、常にお祖母さんのお姉さんである『ミドリさん』がいるという。
忙しかったご両親の代わりに幼かった先生の面倒をよく、見てくれていて、自分の家で過ごす時間よりも長かったらしい。

ある日、ミドリさんのお気に入りの水色のセーターを猫が引っ掻いて、ボロボロにしてしまったという。先生は猫を叱ろうとしたが、ミドリさんは
『猫のすることは叱らなくてもいいのよ』と柔らかく宥めた。

その後、セーターは解かれて、タケオ先生の帽子とこの猫の指人形とミドリさんのマフラーに生まれ変わった。
『ほら、猫のおかげで2人が寒い思いをしなくても、よくなったでしょう? 毛糸って、何度でも編みなおせるものなのよ、大丈夫、大丈夫』

寒い思いをしなくても済んだのは、幼い頃のタケオ先生とミドリさんだけではない。水色の猫さんの指人形のおかげで、私の失態も和ませてもらえたのだから。

また、ユキ君と目が合った。ユキ君は神妙な面持ちになっていた。私がニヤリとすると、きまり悪そうに、目をそらした。

ミドリさんのように鷹揚な人は、縺れてしまった気持ちもボロボロのセーターのように、解いて編みなおしてくれるものなのかもしれない。タケオ先生にも、そういう要素があると、私は思っている。

先生の次の講座も、楽しみだ。そのときもまた、このお店に一緒に来られるといいな。今回は思わぬ合いの手も入ったけれどね。私はユキ君の方をチラリと見る。『あなたも、早くお家に戻りなさいよ』

私とユキ君の心の中でのお喋りなど、知る筈もない先生はゆったりとコーヒーを飲んでいる。先生のその様子に、まだ会ったことのないミドリさんが重なって見えた。