ことのはカフェ

カフェに纏わる由なしごとをそこはかとなく綴ります。

アキノブさん 1

タカコさんは窓側の席で、本を読みながら煙草を吸っていた。普段リビングで見るのとほとんど変わらない様子だ。時々、頬を緩ませる。ここからは見えないけれど、読んでいるのはたぶんマンガ本だろう。

『遅くなってごめん。先に食べていたらよかったのに』
俺がテーブルに近づいて、声をかけるとようやく気づいて顔を上げた。やっぱりマンガ本を読んでいたようだ。
『来る前に、きのうのおでんの残りを食べてきたの。だから、お腹は大丈夫』
『なら、いいけど。俺の大根とつみれ、残しておいてくれた?』
『残しておいたわよ』
ああ、よかった。特に大根は次の日の方が一層うまい。

エプロンをした背の高い金髪の男の子が注文を聞きに来た。
『ホットサンドとブレンドください。アキちゃんは?』
ナポリタンと、俺もブレンドお願いします』
男の子は慣れない手つきでオーダーを書くと、深々とお辞儀をしてカウンターに戻っていった。

『ほんとナポリタン、好きだよね』
『そっちこそ、いつもホットサンドだろ』
タカコさんはニヤリと笑った。俺の言葉に笑ったのか、マンガに笑ったのか、どっちだろう?

『試合、どうだった?』
『ジュリのチームが勝ったよ。だけど、兄弟で違うチームだと片方だけ応援するわけにもいかなくて』
『トーマくん、へこんでなかった? 弟のチームに負けて』
『あいつはどこか落ち着いたところがあるから、意外と平気そうだったよ』
『上の子って、そういうところがあるかもしれないわね』

甥っ子たちはそれぞれの中学校で、バスケットの部に入っていて、今日はその練習試合だった。仕事で多忙な兄夫婦の代わりに俺が応援に行ってきたのだ。
ジュリが『勝ったから、寿司をごちそうしろ』とごねたが、これから叔母さんとデートだからと断った。タカコさんは自分が教えている高校の生徒の絵画展を観た帰りだった。

『絵はどうだった?』
タカコさんはマンガ本を鞄にしまうと携帯を取り出して、撮ってきた生徒たちの絵を見せてくれた。
『ほら、この絵。前に話したアサミさんの絵よ。栞ちゃんと私をイメージして描いてくれたらしいの』
『本物より、ずいぶん若くない?』
『あら、アサミさんの目は確かよ。アキちゃんこそ、コンタクト作り直したら?』
相変わらず、全面的に生徒の味方だ。俺もタカコ先生の生徒だった頃には、ずいぶんと助けてもらったのだけれど。

ホットサンドとナポリタンが運ばれて来た。金髪の彼は不器用そうにカトラリーを置く。カチャカチャと音が響く。その音をそっと庇うかのように、ピアノの演奏が始まった。

この店のピアノはお客さんも自由に弾いてよいことになっている。ピアノの前に座っているのは、真っ白になった長髪を後ろで束ねたおじいさんだ。このメロディーは兄がよくカラオケで歌う曲だ。おれのあん娘は煙草が好きで、とかいう歌い出しだった筈だ。

まだ高校生だった頃の俺は、この歌詞を聞くといつも職員室で煙草を吸っていたタカコ先生の横顔を思い出していた。