ことのはカフェ

カフェに纏わる由なしごとをそこはかとなく綴ります。

栞さんのボンボニエール 1

お鍋の中ではたくさんの玉子が、ぐらぐらと踊っている。この仕事をするまで、1度にこんなにたくさんの玉子をゆでたことはなかった。サンドイッチ用の固ゆで玉子。あと、3分ぐらいで完璧なゆで加減になりそう。

次はモップ掛けと、新聞と本の並べかえをして。寝坊をしてしまったから、朝ごはんを食べていない。腹が減ってはなんとやら。少し甘味を補給しておこう。

お腹が空くとカウンターの引き出しから、ボンボニエールをそっと取り出す。子どもの頃、旅行好きだったおばあちゃんからもらった外国のお土産。蓋を開けるときれいな飴菓子がきらきらしていて『お姫さまのおやつみたい』と思っていた。赤は木苺、白は洋梨、緑はなにか柑橘の味だったような気がする。

今は、そのボンボニエールにのど飴やチョコを蓋が浮くほど詰め込んだりしている。色々なお姫さまがあったものだ。

そっと蓋を開けて、チョコを探すけど、見つからない。のど飴、レモン飴、あまりお腹の足しにはならなさそう。はちみつ飴、これが次善の策のようだ。ひとつ、口に入れる。


カランコロン、とドアベルが鳴って元気な声が聞こえて来る。
『毎度さまです! くすのきベーカリーです。パンの配達に来ました』
いつも、仕入れている近所のパン屋さんの子だ。
『タクちゃん、おはよう。いつも、ありがとうね』
タクちゃんは照れくさそうに笑って、カウンターに置いてある陶器の猫に
『猫ちゃん、おはよう』
と声を掛けた。
『そうだ、タクちゃんも飴ちゃんどうぞ』
タクちゃんは小さな手で飴を受け取ると、
『いただきます。お姉さん、猫ちゃん、またね』と、走って行った。『お姉さん』はやっぱり嬉しい。さすが、商人の子だな。

タクちゃんの元気をわけてもらったみたい。掃除がすいすいと進んだ。
エプロンの紐を結びなおす。さあ、開店時間だ。

栞ちゃん、おはよう。燃料補給に来たよ』
毎朝、一番乗りはお弁当屋さんの奥さんだ。薄めのキリマンジャロを一気に飲み干して
『さあ、満タンになったから頑張ろう』
と言って、すぐにお店に戻る。滞在時間は5分。

奥さんと入れ違いに来るのは、たいてい八百屋さんのお父さんだ。甘党だから、トーストにはジャムを多めに添えることにしている。

『大根の菜っ葉、食べなよ。炒めると、うまいよ。ごはん、何杯だっていけるよ』
と、新聞紙で包んで花束のように、渡してくれる。この前にもらったハート型のトマトはあまりにも可愛いので、カウンターに飾ってみた。若い女の子が写真を撮っていったこともある。

『おはようございます。いらっしゃいませ』
見たことのないお顔だ。
『お好きなお席にどうぞ』
『きのう、異動で来たばかりなんですよ。同僚がこちらのコーヒーがおいしいと教えてくれたものですから』

新聞を読みながら、ハワイコナをゆっくりと飲んでいる。そして読み終わると、きちんとたたみなおしてくれた。私のたたみ方よりも、ずっと丁寧。

『美味しかったです。また来ますね』と言い、お釣りを募金箱に入れて、ゆっくりと歩いていった。そよ風が、そっと吹いたような気がした。


出勤前のお客さんが、増えてくる。今日のモーニングコーヒーはコロンビアだ。あの眼鏡の方はミルクは使わない。金髪のお兄さんはミルクが多め。窓側の席の髪の長い女性は、お砂糖を使わない。

『いつも、ありがとうございます。いってらっしゃい』
モーニングの時間が一段落した。

いつも、ランチタイムの準備まで10分程の空白の時間がある。
冷蔵庫の横に飾ってある毛づくろいをしている猫の絵に、自然と目がいく。

またボンボニエールを開けて、レモン飴を口に入れる。爽やかな空気が通り抜ける。初めて来てくれたハワイコナのお客さんを思い出す。素敵な出会いに頬がほころぶ。

お客さんたちとの会話、まなざし、そして微笑み。そのひとつひとつが、彩りにあふれたきれいな飴菓子みたいだ。

この店も、私にとってのボンボニエールのようなものなのかもしれない、なんて妙なことを考えてしまうのは、きっとお腹が空いているからなのだろうな。