ことのはカフェ

カフェに纏わる由なしごとをそこはかとなく綴ります。

栞さんのボンボニエール 3

おかげさまで、今日もランチセットが完売した。平日はごはんとお味噌汁のセットにすることが多い。鮭と舞茸のごはんに里芋のお味噌汁。それにブロッコリーのサラダを添える。午後からもお仕事、頑張ってくださいね!という思いを込めて。

カラン、コロンとドアベルが鳴って『キャットレスキュー』のチサトさんが入ってくる。咳をしている。
『猫を迎えに行ってたから、朝から何も食べる時間なかったの。まさか、猫缶食べる訳にもいかないし。あー、お腹すいた』
と言って、いつものカウンター席に座った。

午後4時。猫ちゃん相手のお仕事だから本当に時間の融通がきかないだろうな。
『わー、お疲れさま。今、コーヒー淹れるから、蒸しパン食べてて』

八百屋さんのお父さんが今朝、売り物にするには小さすぎると言って持ってきてくれたさつま芋とりんごで蒸しパンを作っておいたのだ。だからメニューにはない。チサトさんの定番はブラジルなので、ちょうどよかった。
『あー、生き返ったー』
と、猫のような伸びをすると、腕にはたくさんのひっかき傷があるのが見えた。チサトさんはこの傷のことを勲章だと言って笑う。

チサトさんはこの店のオーナーのマリコさんのお友達だ。保護猫活動の合間によく立ち寄ってくれる。
『チサトさん、今、かぎしっぽの猫ちゃんっている? お客さんで里親さんになりたがっている人がいるの』
『かぎしっぽの子か。今、うちにはいないなあ。しあわせを運んできてくれると言うわよね。保護したら、連絡するわね』
チサトさんはメニューを捲りながら答えた。そして、ツナサンドを追加してくれた。

『この間ね、ペットショップで見かけて気に入ったけど、なかなか懐かないから引き取ってくれっていうことがあったの。1ヶ月くらいじゃ、相性なんてわからないと思うけどね。新しい環境に馴染むのに、時間がかかる子だっているのよ。だから、もっと長い目で見てほしいわ』
そう言って、咳き込んだ。

長い目で見る。ふと、この店で働き始めたばかりの頃の自分を思い出す。コーヒー豆の名前を覚えて、お客さんのお顔を覚えて、サンドイッチをくずれにくくする方法は…と、マリコさんとミユキさんが1から丁寧に教えてくれたことは、数えあげたらきりがない。

うっかりお皿を割ってしまったことだってある。そのお皿は今ではすっかり有名になってしまった陶芸家の初期の作品で、猫の姿がレリーフで表現されている。お給料で弁償しないと、と思っていたがマリコさんは
『猫ちゃんの可愛いお顔のところが無事でよかったわ』
と言っただけで、一言も怒らなかった。

その後、お皿には金継ぎがほどこされ、今でもずっと、たいせつに使われ続けている。猫ちゃんたちも末長くたいせつにされてほしいものだ。

チサトさんはツナサンドを片手に、メールを打ち続けている。タウン誌の取材が来てから、問い合わせが倍になったらしく、チサトさんはフル稼働している。メールを打つ速さは女子高生と競争しても、負けないだろうな。ときどき電話もかかってくる。せめて、この店にいる間だけでもゆっくり寛いでもらいたい、と思うのだけれど。

また、携帯が鳴る。
『わかった。すぐ戻る』
チサトさんが電話している間に、食べかけのツナサンドをアルミホイルに包む。ボンボニエールを開けて、のど飴を一掴み。そうだ、猫ちゃんたちのおみやげにランチのお味噌汁用の煮干しも。急いで紙袋に詰めて、リレーのバトンパスのように手渡す。
栞ちゃん、悪いわね。また来るから』
『チサトさん、喉、お大事にね』

いつも営業時間中には登場しないボンボニエールが、今日は大活躍だ。急に寒くなったせいか、咳をしているお客さんが多かった。その度にのど飴をお渡ししていた。毎朝ハワイコナを飲みに来てくれるお客さんも、声がガサガサしていた。いつもは聞き惚れるようなテノールなのに。

植木屋さんのお兄さんは、今日も元気だった。剪定した松の葉をお茶にして飲んでいると言っていた。松のお茶を飲み始めてからは疲れ知らずだそうだ。
『うちの若い奴らにも飲ませてみたけど、コーラの方が好きだって言われたよ。まあ、無理強いするものじゃないから』
松のお茶か。松林を歩くと清々しい気持ちになるものだ。喫茶店でも松のお茶をお出ししたら、お客さんたちに松林をお散歩しているような爽快な気分を味わっていただけるかもしれない。

電話が鳴る。チサトさんだった。おみやげの煮干しを猫ちゃんたちがとっても気に入ったらしく、仕入れ先を教えてほしいという話だ。この煮干しはマリコさん行きつけの割烹のご主人が使っているのと同じものだ。猫ちゃんたち、なかなかのグルメだな。

受話器の向こうでは、まだ咳き込んでいる声が聞こえる。当分の間は、ボンボニエールをのど飴でいっぱいにしておいた方がよさそうだ。
『ねえ、チサトさん。猫ちゃんの喉のゴロゴロって音、風邪に効くって聞いたことがあるわ』
『あー、今いる子たち、新入りばかりだからまだゴロゴロしてくれないのよ。あ、痛い!』

なるほど。ゴロゴロを聞くのには、まだ時間がかかりそうだ。だけど、チサトさんならだいじょうぶだろう。必ず、どの猫ちゃんとも仲良しになれる。長い目で見ていよう。