ことのはカフェ

カフェに纏わる由なしごとをそこはかとなく綴ります。

栞さんのボンボニエール 30

電話が鳴る。文房具屋さんのマサヨさんだ。息子さんのお夜食の玉子サンドを予約したい、との事だ。了解。マサヨさんが予約の電話をくれるのは、お店がとっても忙しいときだ。無理もない。この時期は普段のお客さんに加えて、新入学の準備をするお客さんたちも増えるのだから。

 

カラン、コロンとドアベルが鳴って、手をつないだお母さんと男の子の姿が。

『いらっしゃいませ。お好きなお席にどうぞ』

男の子は店の中をめずらしそうに見まわして

『ママ、すごいねー。猫だらけだよ』

と声をはずませた。2人は窓側の席にすわって、紅茶とバナナのプリンを注文した。

 

男の子はテーブルの上の猫ちゃん型の塩胡椒入れを両手に持って遊び始めた。それに飽きると今度は

『ママー、筆箱見たい』

と言った。お母さんがバッグから紙袋を取り出す。あら、マサヨさんのお店の袋ね。

筆箱はたくさん仕掛けのついたタイプのものだった。私が小学生の頃からあったわよね。

 

ボタンを押すと、トレーが飛び出す。男の子は目をきらきらさせて『おーっ』と言う。その隣のボタンを押すと、鉛筆ホルダーが立ち上がる。『かっこいいー』ボタンを押すごとに鉛筆削りやルーペなど、色々な仕掛けがあらわれる。お母さんが紅茶を飲んでいる間、男の子はずっと筆箱に夢中になっていた。

 

 

カラン、コロンとドアベルが鳴ってお店のエプロンをしたままのマサヨさんが。

栞ちゃん、遅くなっちゃった』

『忙しそうね。サンドイッチ、出来てるわよ』

マサヨさんは椅子にドスンと座る。

『あー、お腹すいた。まず、ブラジルもらおうか。それと、たらこスパゲティーも』

 

ボンボニエールからアーモンドチョコを2つ、ブラジルのソーサーに添える。おつかれさま。たらこスパゲティーが出来るまで、これでも食べていて。

『新入学準備のお客さん、増えてきたでしょ?』

『そうなの。だけどね、最近、意外なお客さんも増えてきているのよ』

 

マサヨさんは内緒の話をするように、声を少し落とした。

『いつも、事務用品を納入させていただいている会社の社長さんがいらしてね…。私を手招きするのよ。そして、耳もとで、あのさ、ちょっと言いにくいんだけど、あれ、見せてよって、指をさすの』

『え、何?』

 

『ほら、小学生の使う筆箱。仕掛けのいっぱいついた。今ね、新入学用品コーナーにたくさん並べているのよ』

社長さんは子どもの頃、勉強に集中できないのではないか、という理由で仕掛け付きの筆箱を買ってもらえなかった。それで、クラスの皆が持っているのが羨ましかったそうだ。大人になって、ずっと忘れていたけれど、ふと新入学のコーナーを見て懐かしくなって、自分用に買うことにしたのだという。

 

『いい歳してさ、恥ずかしいんだけど、まあ、いいよな? って、おっしゃってね』

さっき筆箱で遊んでいた男の子の楽しげな表情が浮かんだ。社長さんの中にもあの小さな男の子がいるのかもね。

『私のクラスにも、いたわよ。親御さんが学校の先生で、仕掛け付きの筆箱を買ってもらえなかった子』

『必ず、クラスに何人かはいたわよね。そういう子。それでね、この頃大人になってから、子どもの頃に買ってもらえなかった物を買いにくるお客さんが結構いるのよ』

『キャラクター文具とか? かわいい消しゴムなんかも、ありそうね』

『そうなのよ。アメリカのドラマに出てくる社長秘書みたいな女の人が嬉しそうにケーキの形の消しゴムを大人買いしたり、とかね』

 

私の家はゆるかったから、そういう経験はない。だけど、今、高校の先生をしているタカコなんかもお家が厳しくて、キャラクターグッズを持てないし、マンガも読ませてもらえないって言っていたわね。

『息子が言うのよ。あんな、かっこいいスーツを着た人たちが、あんな楽しそうに筆箱やキャラクターグッズを買って行くのって、何だかかわいいよな。俺、やっぱり文房具屋、好きだわって』

 

マサヨさんも息子さんが文房具ワールドに染まってくるのが嬉しくて仕方がないみたいね。にやにやしているマサヨさんを見ていると、私までにやにやしてくるわ。マサヨさんは私のにやにやに気づくと、照れかくしをするように、ブラジルをぐいっと飲んだ。