栞さんのボンボニエール 20
花火の音と、歓声が聞こえてくる。店の中にはミユキさんと私の2人だけ。この場所は花火大会をしている公園からは何とも距離感が中途半端なのだ。だから、背伸びをするといつもトモノリさんが座る席の窓から、ようやく花火の『ごく一部』が見えるかどうか、という状態。そういう理由で花火大会の夜は1年のうちでもっとも暇なときだ。
『栞ちゃん、コーヒー淹れようか』
『いいわね。お客さん、しばらくは来ないわよ』
ミユキさんは涼しげな籠バッグから、クラフト用紙でできた袋を取り出した。
『サトルさんがね、試作品を送ってくれたの。花火をイメージしたブレンドですって』
『わー、華やかな匂い。コスタリカかしら?』
『かもしれないわね。何の豆を使ったかは手紙には書いていなかったわ』
ミユキさんがお湯を注ぐと、コーヒー豆はふんわりと膨らんだ。
『こんな花火もあったわよね?』
『地味だけど、好きだったわ』
いつもはカウンターで飲むコーヒーだけど、きょうはトモノリさんの席へ。ボンボニエールも私たちと一緒にカウンターの外へ。
『サトルさん、いただきまーす』
と、私はまだお会いしたことがないのだけどね。
ミユキさんはひとくち飲んで
『なるほどー』
と言った。華やかな匂いと強すぎない酸味と。深煎りが好きな私でも、楽しめる味わい。暑いときにはぴったりだわ。
『これ、うちでも出したいわよね』
『サトルさんの中では、まだ改良したいところがあるんですって。だから、商品化はまだ先の話になりそうだわ』
ミユキさんはそう言うと、椅子から立ち上がって窓の外を覗いた。
『どう? 花火、見える?』
『ほんのちょっと、だけどね』
私も立ち上がって、背伸びしてみる。少しだけ、見えた。外では歓声が響いている。
背伸びして、脚がつりそうになる。運動不足だわ。座って、ボンボニエールからチョコをひと粒。ルビーカカオの鮮やかな色と、華のある酸味がサトルさんのブレンドに似合う気がする。ミユキさんにも、チョコを勧める。
『このチョコ、サトルさんに送ってみようかな。花火ブレンドを改良する手がかりになるかも』
確かに、ルビーカカオのチョコからは花火大会にまつわる『わくわく感』のようなものが感じられる。観ている女の子たちの浴衣や団扇、次はどんな花火が上がるのか、という期待感。そして、歓声。サトルさんがブレンドに足したいのはこの『わくわく感』なのではないかしら。
花火ブレンドを飲みながら、ミユキさんが言う。
『サトルさんってね、学生の頃は作家になりたかったんだって。だから、ブレンドにも何かストーリー性を求めているような気がするの』
『なるほどね。花火というだけなら、このブレンドだって決して悪くないもの』
また、花火の音が鳴った。私もブレンドをひとくち。喫茶店ならではの、花火大会。目ではなく、音と味覚で花火をあじわうのも、あっていいわよね。
花火の音に気後れしたかのように、ドアベルがカラン、コロンと鳴る。トモノリさんだ。専用席を空けてあげないと。
『2人、めずらしいところにいるね』
『ごめんなさい。占領してたわ』
『いいよ、他のお客さん来てないから、このままで。玉子サンドが食べたいな』
『トモノリさん、花火観てたの?』
『会社の窓からね、ちょうど見えるんだよ。若い子たちがオフィスで宴会始めたから、オジサンは遠慮したんだよ』
ミユキさんがトモノリさんにも花火ブレンドを淹れている。玉子サンドができるまで待っててね。
『花火をイメージしたブレンド、飲んでみて』
ひとくち飲んで、トモノリさんも納得している。
『うん、なるほど。確かに花火だ。さっきまで見ていたそのままの華やかさがあるね』
ミユキさんと私は得意げに
『でしょ?』
と、声をそろえる。自分たちがブレンドしたわけでもないのにね。
トモノリさんは店で定期購読している猫ちゃんの雑誌を眺めながら、玉子サンドを食べ始めた。そして
『このタマちゃんって、可愛いね。こっちのかぎしっぽの子も、いい顔してるなぁ。たまやとかぎや、だね』
と、目を細めた。