ことのはカフェ

カフェに纏わる由なしごとをそこはかとなく綴ります。

シュンスケくん 3

新聞を読んでいたサラリーマンの人たちが帰ってしまうと、お客さんは俺たちの他にはマスターよりも、かなり年上に見えるご夫婦らしい2人だけになっていた。オルゴールのBGMが似合う人たちだな、と思う。

マスターがアサミ先輩を冗談とも本気とも取れるように『スカウト』してくれたおかげで、俺は話が切り出しやすくなった。
『先輩は大学、どうするの? 美大?』
俺と同じデッサン教室に来ている学生はリョウ先輩も含めて、みんな美大志望だった。
『いやー、美大は受けないかな』
『意外だな。俺、先輩は絵を極めていくのかと思っていた』
『絵はね、ずっと描いていようと思っているよ。だけどね、極められるようなものじゃないよね。楽しく描けたら、それでいいかな。シュンスケは? 美大受けるんだよね?』
『はい、そのつもりです』

美大を受けるのは、絵を本格的に描きたいと思ったからだった。俺が絵を描き始めたのは子どもの頃、近所に住んでいたペンキ職人の叔父さんの影響だった。叔父さんはいつでも、落語のテープを鳴らしながら庭で仕事をしていた。俺が遊びに行くと、俺の背よりも大きな板と余ったペンキを出して『好きなように塗っていいぞ』と言ってくれた。それが楽しくて仕方がなかった。

だけど、今回の美術展でもらったガラス製のメダルを見て、こんなに繊細な表現の方法もあるのだということを知らされた。ガラス工芸の世界への興味がどんどん膨らんできた。普段、俺が描く絵とは全く違うから、戸惑っている。ガラス工芸を勉強するなら、志望校を変えなければならないだろう。こんな場合に、アサミ先輩だったらどう考えるかを聞いてみたかったのだ。

先輩は黙って、俺の話を聞いていてくれた。そして、こう言った。
『板に描いても、ガラスに彫っても、シュンスケの絵であることには変わりないよぉ。叔父さんが言ったみたいに、好きなようにしてたら、きっといいものができるよ』
『そういうものなのかな?』
『と、私は思ってるよ。楽しいというのがいちばんだと思うな。難しく考えなくても。それに、ガラスのことは学校じゃなくても、覚えられるよね?』

先輩の言うのを聞いて、俺は力が抜けた気がした。窓の外では、クレヨンがあくびをしている。力が抜けたら、少しおなかが空いた。
『チーズケーキ、おかわりしようかな』
『少食のシュンスケが、めずらしいね。じゃあ、私は苺タルトにしよう』

ケーキが来るのを待ちながら、先輩がポツリとこんな話を始めた。
『小学校の頃、学校に絵を描く楽しさを潰されちゃった子がいたんだよ。もう、ずっと会ってないけど、今、どうしているかな?』

いつもは、ほんわかとしているアサミ先輩の厳しい表情を俺はそのとき、初めて見た。窓の外のクレヨンは先輩の横顔をじっと見ていた。