ことのはカフェ

カフェに纏わる由なしごとをそこはかとなく綴ります。

シュンスケくん 1

アサミ先輩は店の前の食品サンプルが飾られているガラスケースの前にしゃがんで、猫を撫でていた。俺に気づくと、大きく手を振る。
『すみません。遅くなっちゃって』
『だいじょうぶだよー。まだ5分しか過ぎてないし。この子と遊んでたから平気だよ。じゃあね、にゃんこ。気をつけて、帰るんだよ』
今度は猫に、小さく手を振る。

連れだって店に入る。ここは通い始めたデッサン教室の近くの喫茶店だ。昭和時代から続いていて、レトロな雰囲気が漂っている。

アサミ先輩は店の女の人とお馴染みらしく『きょうは入試で学校は休みだよ』などと気軽に言葉を交わしている。俺たちは窓側のテーブルに座った。さっきの猫がまだ、ガラスケースのそばに座っている。アサミ先輩はメニューをパラパラとめくっている。爪には桜の絵が描かれている。
『先輩、その桜、自分で描いた?』
『あー、これはドラッグストアで売ってた爪用のシールだよ。サクラサク、受験生たち頑張れ! なんてね』と言って、笑う。
この人のこういうところに、何となく『高評価ボタン』を押したくなる。
『何にする? パスタも色々あるよ』
『俺、えびグラタンにします』

平日の昼間なので、まわりはほとんど新聞を読んでいるサラリーマンの人たちだった。静かな店の中にはオルゴールのBGMが流れていた。

えびグラタンが2つ運ばれてきた。
『わー、おいしそう。さあ、食べよう』
アサミ先輩は、本当においしそうに食べる。俺はふだんはあまり食べないけれど、つい、つられてグラタンを完食した。

『そうだ、先輩。俺、きょうはこれを見てもらいたくて』
秋にあった高校美術部の展覧会に、俺はクレヨンでほぼ等身大の鹿の絵を描いた。それで、市長の特別賞をもらった。そのときのガラスでできたメダルが、きれいだったので持ってきたのだ。

『いいの? 持たせてもらっても』
アサミ先輩はやわらかい子猫に触れるときのように、そっと手を伸ばした。
『きれいだね、このぶどうの模様。ちょっと、アールヌーボーっぽいよね。よかったねぇ。シュンスケ』
と、にこにこしている。持ってきてよかった。
『先輩が、俺にクレヨンをすすめてくれたから、この賞、もらえたし』
『いやぁ、シュンスケのチカラでしょう。楽しみながら描いたのが観てるだけでもわかるよ』

追加注文した紅茶が2つ運ばれてきた。お店の女の人が丸いお菓子が2つ載った皿を俺たちの間に置いた。
『あれ? これ頼んでないけど…』
『これね、スコーンの試作品なの。感想を聞かせてくれたら嬉しいな』

グラタンを完食できただけでも珍しいのに、デザートのお菓子まで食べている。アサミ先輩といると、食事が楽しいようだ。


『アサミちゃん、スコーンはどうだったかな?』
白髪混じりの髭をはやした男の人が、にこやかに話しかけてきた。
『あ、マスターこんにちは。このスコーン、絶対メニューにのせてほしいです。苺ジャムもあると嬉しいかも』
マスターはちょっと驚いた顔をして
『きのう、リョウくんにも試食してもらったら、同じことを言っていたよ』
と言った。リョウ先輩とはさっきまでデッサン教室で一緒だった。だけど、この後でアサミ先輩に会うことは何となく言えなかった。窓の外を見ると、猫はまだいた。目があった。猫は俺の心の中を見透かすように、じっと俺を見ていた。