ことのはカフェ

カフェに纏わる由なしごとをそこはかとなく綴ります。

シュンスケくん 4

マスターのお姉さんが、俺たちのケーキを運んできてくれた。そして、アサミ先輩の爪の桜を褒めた。先輩はいつものほんわかした表情に戻っていて
『お姉さんも、やったら? 絶対、似合うと思うよ』
と言った。お姉さんも嬉しそうに
『あら、そうかしら? こんな、おばあちゃんでも?』
と返していた。


先輩が厳しい表情で語ったのは、小学校の1年生だった頃、同じクラスにいた『ヒデくん』のことだった。ヒデくんは言葉が遅かったが、絵を描くのがとても好きで、いつもスケッチブックにたくさんの動物たちや花を描いて、それをにこにこしながら見せてくれたのだそうだ。

ある日の図画の授業のことだった。ヒデくんの絵を見た担任の先生が大きな声で言った。
『どうして、馬がこんな色なんだ? こんな馬、いるわけないだろう? それに、この花! 花に顔なんかあるわけないだろう? ふざけないで、まじめに描きなさい! さあ、もう1枚紙をあげるから、これに描き直して』
先生はヒデくんの絵を取り上げるとそれを破いてしまった。ヒデくんは何も言えずにただ、うつむいていたそうだ。

そのとき以来、ヒデくんは図画の授業がある日には学校を休んだり、保健室に行くようになってしまったという。それから少し経って、ヒデくんはお父さんの仕事の都合で転校したとの事だ。


『馬がピンク色だっていいよね? 私、ヒデくんには、きっと、お花たちの楽しいおしゃべりが聞こえていたと思うんだ。本物にそっくりに描けば、それが正解だなんてつまらないよね? 私なら、そんな絵は描きたくないな。あのときに先生はヒデくんの絵を描く楽しさをこわしてしまったと思うんだよ』

そう言いながら、アサミ先輩はタルトの上の苺を4個立て続けに、フォークで口に運んだ。目には、うっすらと涙が浮かんでいた。
『ごめん、ごめん。ちょっと感情的な言い方しちゃったね。でもね、そのことがあってからさ、私、子どもたちが楽しく絵を描くのに寄りそえるような仕事がしたいな、って思うようになったんだ』

俺は苺タルトの、苺が食べられてクリームだけになったところを見ていた。クリームには苺の跡がくっきりと、残っていた。そのときの先生がしたことも先輩の記憶の中に、こんな風に痕を残したのだろうか。

部長のリサ先輩が目当てで、美術部に入ったケイタなんかは、よく
『アサミちゃんは天然ちゃんだよなー』
などと言っている。俺も正直、そう思っていたことがある。初めて会ったとき、アサミ先輩はリョウ先輩と一緒に、机に座ってポテトチップスの袋を抱えながら食べていた。俺が入部してからずっと、そんな調子だった。それから、1週間ほどしてようやく絵の道具の用意をし出した。

『ポテチのねーさん、どんな絵を描くのかな?』そう思ってキャンバスを覗くと、そこにはじゃれ合う3匹の子猫たちが描かれていた。それを見た途端に、たまらなく懐かしいような、優しい気持ちがこみ上げてきた。すごい絵だな。何なんだ、この人は? そのときから、俺のアサミ先輩を見る目は変わった。リサ先輩目当てで集まった絵の描き方も知らないやつらにも、画材の使い方なんかをていねいに教えてやっていた。この人、意外といいやつかも。

ヒデくんのことを聞いて、先輩の絵からにじみ出る『なにか』の手がかりが少しだけ見えたような気がする。先輩が子どもたちと楽しそうに絵を描く姿が、目に浮かんだ。その隣には、俺もいるだろうか? そうだといいな。

コーヒーを飲み終えた年配の2人連れが、立ち上がった。そして、窓の外のクレヨンを見つけて
『あら、お父さん、チャッピーが来てるわよ』
『ああ、チャッピー、元気そうだな』
と話していた。

クレヨン、おまえには一体いくつ名前がある?