ことのはカフェ

カフェに纏わる由なしごとをそこはかとなく綴ります。

サトルさんとモンブラン 21

女性というのは、いくつになっても『カワイイ』ものが好きなのだろうか。この店のオーナーのマリコさんに『知人の陶芸作品を店に展示して欲しい』と言われて、1週間ほど試みた。まるで絵本に登場しそうなお城の住人が使うのか、というぐらい繊細で砂糖菓子みたいな食器が、このオジサンがカウンターでコーヒーを淹れている喫茶店の一角に集まった。

 

最初に注目したのはヨシコの姉のサワコさんだった。あの落ち着いて楚々とした大人の女性が、やや声の調子を上げて見入っているのには驚いた。そして、もっと意外だったのは、その作品を作ったのが今、俺の目の前でコーヒーを飲んでいるこの人だということだ。

マリコさんが栗の町ブレンドと、モンブランは最強のコンビよ、と言ってましたが、本当ですね』

 

サワコさんをはじめ、何人もの女性を魅了した食器を制作したミツルさんは展示会以来、この町によく顔を見せるようになっていた。小柄な体に男物のセーターを着て、髪を無造作に後ろで束ねている。化粧は全くしていない。少年だと言われたら、そう信じてしまいそうな雰囲気をもっている。我ながら想像力が貧困だと思うが、あの砂糖菓子のような食器を見たときには大きなリボンを頭に着けている睫毛の長い作家の顔が勝手に浮かんできたのだ。

 

『おかげさまで、こちらの展示会を観たという方からたくさんお問い合わせをいただくようになったんですよ』

それは、何よりだ。俺が知るだけでも、常連のカリグラフィー教室の生徒さんとサワコさんが注文していた。そして、それをうちで預かることになっている。他にはマドカちゃんだ。マドカちゃんなどはあっという間にファンになったようで、クリタロウ動画にゲスト出演して欲しい、と依頼した程だ。猫と食器、どんな動画になるのだろう。そう言えば『猫の皿』という噺があったよな。

 

猫と言うと、マリコさんだ。マリコさんが目に留めた作品がきっかけで、仕事の幅が広がったという職人やアーティストは結構いるようだ。この店以外でも、そんな話を頻繁に聞く。詳しくは知らないが、マリコさんの親族にはものづくりの職人が多かったらしい。だから、よい手仕事を見いだす目が自然と育っているのかもしれない。このミツルさんとは、喫茶店で相席になったのがきっかけで知り合ったそうだ。たまたま陶芸をしている話をしたら、興味を示して連絡先を交換したのだという。

 

『私には姉が2人いて、男の子が欲しかった父が私を男の子のように育てようとしたんです。だけど、やっぱり私の中にもレースやリボンに憧れる気持ちがあったんですよね。マリコさんはそこを汲み取ってくれたんです』

ミツルさんはモンブランを口に運びながら、そんな話をした。その手つきは繊細なリボンを扱うようだった。

 

 

ガラガラと引き戸が鳴る。

『あー、お腹空いた。サトルちゃん、ホット。それから、ホットサンド』

さっきまでのミツルさんの静けさとは打って変わってヨシコの大声が。

『ねぇ、サトルちゃん。姉さんが注文したレースみたいな食器、もう届いた?』

『いや、もう少しかかりそうだぜ』

『ふーん、そうか。届いたら、私が預かってあげる。サトルちゃんなら壊しかねないもんね』

おい、お前が言うのかよ? と思ったけど、ミツルさんの静けさの余韻を壊したくないから黙っていることにしよう。

 

栞さんのボンボニエール 29

きのう久しぶりに、この店のオーナーのマリコさんから電話がかかってきた。とても素敵なカップを見つけたから、是非、店でも使って欲しい、という事だった。カラン、コロンとドアベルが鳴って、猫ちゃんマークの帽子を被った宅配便のスタッフさんが荷物を届けてくれた。さすが、愛猫家のマリコさんだわ。宅配業者さんまで猫ちゃん絡みなんだものね。

 

ダンボールの中から、桜の花を思わせる淡いピンク色の柔らかい布で丁寧に包まれたカップとソーサーたちが。カフェオレ色の模様のかぎしっぽ猫ちゃんと桜の花を題材にした絵柄のものが3種類だ。桜をじっと見上げる横顔、背伸びをして手を伸ばして桜に触れようとしている様子、桜の下で微睡んでいる姿が柔らかいタッチでそれぞれ描かれていた。よく見るとこの猫ちゃんたち、文房具屋さんのフクスケくんにそっくりだわ。春が待ち遠しいお客さんたちへのマリコさんからの優しい心遣いね。

 

 

本物の猫ちゃんをお風呂に入れるような気持ちで、そっとそっと、洗う。あなたたち、お客さんに可愛がってもらえるといいわね。カラン、コロンとドアベルが鳴って、何てタイミングがいいのかしら。文房具屋さんのマサヨさんがかなり遅めのお昼ごはんを食べにきた。

栞ちゃん、ブラジルと、パンはシナモントーストがいいな』

『かしこまりました』

さあ、フクスケくんのそっくりさんに早速お仕事をしてもらいましょうか。背伸びをしている子の柄を選ぶ。気づいてくれるかしら。

 

『おまちどおさま』

マサヨさんの前にトーストのお皿とブラジルを置く。私の心の中では『ジャジャーン』と効果音が鳴り響いている。

『いい匂い。いただきます。あら?』

頬がゆるむ。

『やだ、栞ちゃん、このカップの猫うちのフクちゃんにそっくり!』

『でしょ? 見て、しっぽもかぎしっぽなのよぉ』

『あらまぁ、ほんとだ。それに、きれいな桜。一足早くお花見の気分だわ』

 

ボンボニエールから、ブランデーの瓶をかたどったチョコレートをひとつ。

『花見で一杯、どう?』

『あはは、いいわね。ありがとう』

マサヨさんはなかなかお強いのよ。本物のブランデー、1本ぐらいはひとりでも空けられるんじゃないかしら。

 

マサヨさんがフクスケくん柄のカップを眺めてしみじみと言う。

『フクちゃんが来てから、店はいいことだらけなの。フクちゃんに会いに来てくれるお客さんもたくさんいるし、それにね』

マサヨさんは嬉しくって堪らない、というような笑みを浮かべて続けた。

『息子がね、ばあちゃんの老人ホームに文房具の薀蓄を聞きに通うようになったの。ばあちゃんも、ひ孫に頼られるのが嬉しいのか張りきって、入所した頃よりもずっと記憶力が回復してきた、って職員さんが言っているの。もうね、フクちゃん様々なのよ』

 

マサヨさんはおばあちゃまが始めた文房具屋さんが大好きで、息子さんが継ぐことになって本当に感謝している、と言っている。かぎしっぽの猫ちゃんはやっぱり、幸せを運んできてくれるのね。

栞ちゃん、あしたお芋のサラダのサンドイッチ、予約してもいい? ばあちゃんの好物なの。息子に持って行ってもらいたくて』

 

 

お芋のサラダのサンドイッチはマサヨさんもよく食べてくれるし、息子さんのお夜食に買って行ってくれることもある。おばあちゃまの代からの好物なのね。おばあちゃんの味、私にとっては甘納豆のたくさん入ったホットケーキかしら。真似して作ってみるけれど、どうしてもあの味にはならない。どうしてなんだろう。

 

ティピカちゃんねる 24

皆様、ごきげんよう。ティピカです。きょうは『はじめまして』のお客様がいらしています。洒落たスーツを着て、胸ポケットにはジュンコが時々、手紙を書くときに使う『万年筆』というものを挿しています。随分と前にお客様たちのお喋りの中に登場していた『ちょい悪おやじ』なる言葉がよく似合いそうなお方ですよ。

 

ちょい悪おやじ殿がジュンコに名刺を差し出しています。

『そうですか。百貨店のバイヤーさんでいらっしゃるんですね』

『新蕎麦の時期に催事を計画していまして、お蕎麦が特産のこちらに伺った次第なんです』

新蕎麦とはまた、ずいぶんと気の早い。まだ、雪も溶けきってもいないというのに。

 

キリマンジャロと何か、甘くない軽食はありませんか? 最近、チョコレートを食べ過ぎていて、甘い物はどうも…』

『ベーグルなんか、いかがですか?』

『あ、いいですね。じゃあ、それを』

人間の世界には『バレンタイン』というチョコレートを贈る習慣がありますね。ちょい悪おやじ殿は女性たちから、たくさんもらったご様子。商売熱心な喫茶店のママさんなら『まあ、おモテになるのね』ぐらいのお愛想は言うのでしょうけれども。

 

『ニャー』すみませんねぇ。うちのジュンコは愛想がないのですよ。ちょい悪おやじ殿は私を見てにこりとしました。その『にこり』がなかなかチャーミングで、おじさん猫の私でさえもちょっと『キュン』となりますよ。ドアの外から薄氷を踏む音が聞こえて来ます。あの音はユキ君のお嬢ちゃんですね。

『ニャーン』

ジュンコがドアを開けてくれました。

ちょい悪おやじ殿が『猫くん、お散歩かい?』と私の方を見ます。『どうぞ、ごゆっくり。この町のお蕎麦はみんな美味しいですよ』私たちは目と目で男同士の会話をしました。

 

 

『やあ、どうしたの?』

『ティピカのおじちゃま、聞いてよ。パパったら、ひどいのよ!』

お嬢ちゃんの言うには、ユキ君が彼氏さんにビンタをお見舞いしたとの事。おやおや、穏やかではありませんね。さらに話を聞いてみると、合点がいきましたよ。お蕎麦屋さんの奥さんのお隣のあの猫。彼は『ちょい悪』ではなくて、本当に人間たちの間では『悪名の高い』トラブルメーカーでした。お蕎麦の畑を荒らす、子どもにかじりつく、など彼が起こした問題は数えきれません。

 

ユキ君は人間と暮らした経験があるので、人間の気持ちもよく解るのですよね。だから、人間の物差しで『不良』と言われているような猫と娘が関わることに不安を覚えたのかもしれませんね。ユキ君の話も聞いてみないことには何とも言えませんが。

『パパは理由もなく、そんなことをしないと思うよ。僕が聞いてみよう。寒いから、ミケコおばさんのところで待っているといいよ』

 

 

『ティピカのおっさん、すまないね。親子喧嘩に巻き込んじまって』

『あの猫は、パパのお眼鏡にかなわないのかい?』

ユキ君はバツが悪そうに毛づくろいを始めました。そして、こう言いました。

『おっさんよ、ジュンコ姉さんからバレンタインに何かもらったか?』

『ああ、バレンタインの夕飯はいつもより、豪華だったよ。ふかふかの座布団ももらったし』

『だろ?』

ユキ君は目を潤ませながら続けました。

 

『あいつ、パパが世界で1番大好きって言っていつも俺にくっついてたのに、この間のバレンタインには俺と散歩する約束をすっぽかして、あの若造におやつを持って行ったんだよ。口惜しいじゃねえか』

こんな時、人間は『目が点になる』と言いますね。やれやれ、心配して損しましたねぇ。私の顔を見てユキ君が拗ねた調子で言います。

『何だよ、おっさん。これを自分とジュンコ姉さんに置き換えて考えてみてくれよ』

『ああ、ごめんごめん。だけど、殴るのはまずいだろう』

『そうだよな』

 

お嬢ちゃんがにこにこして、こちらに歩いて来ました。ミケコちゃんがうまいこと、宥めてくれたようですね。

『パパー、おじちゃまー。ミケコおばさんがおやつくれたの。一緒に食べようよ』

あんなに怒っていたお嬢ちゃんに、ミケコちゃんは何を言ってあげたのでしょう? 

全くミケコちゃんの器の大きさといったら。

 

 

『ティピカ、きょうのお散歩はずいぶんゆっくりだったのね』

ジュンコの脚にスリスリします。

『なぁに? よっぽど寒かったのね。人の脚を湯たんぽみたいに』

そうじゃないんですけどね。まあ、いいでしょう。親子喧嘩の調停の後のおやつでお腹がいっぱいになりましたよ。私はちょっとだけ寝ることにしましょう。

 

サトルさんとモンブラン 20

もうすぐバレンタインデーだ。この歳になると『チョコをもらえるかどうか』なんて心配とは無縁になっていて、何ともお気楽な境地だ。カラカラと引き戸が鳴って、パリッとしたスーツ姿のトオルがニヤニヤして手を振る。

『よお、サトル』

『あ? なんで、おまえ、ここにいるんだよ?』

『おいおい、お客様にそれはないだろ? キリマンジャロと、苺のガレット』

そう言って、カウンター席に座る。

 

 

『おまえ、いつ来たの』

『ああ、きのうの夜にこっちに着いてホテルに泊まったんだよ』

『また、出張か?』

『いや、今回は私用だ。サトルちゃんにもバレンタインのチョコを持って来たんだぜ』

と言って、いかにも高級そうな光沢のある小さな紙袋を差し出す。

『日本では、うちしか扱ってないんだ。契約にこぎつけるまで3年かかったよ』

 

ドイツのチョコレートで、バレンタインの時期限定のものらしい。毎度のことながら、トオルのひたむきさには頭が下がるよ。催事のたびにどこか必ず新しい取引先を見つけるんだからな。

トオル殿、かたじけない』

『くるしゅうないぞ、サトル殿』

と、おちゃらけた後で真面目な顔をする。そのスーツの胸ポケットにモンブランの万年筆が挿さっている。

 

『あれ、モンブラン? 確かおまえって、カランダッシュが好きなんじゃなかったか?』

『ああ、これか? めざといね、サトルちゃんは。万年筆コレクターだもんな』

と笑ってポケットから出して見せてくれる。

『このチョコレートの会社の社長がくれたんだ。そこまで、うちのチョコレートを評価するおまえは私の親友だ、と言ってね』

 

キリマンジャロをひとくち飲んで、トオルは続けた。

『俺さ、メディアで話題になる、とかじゃなくって、本当にその仕事に夢中になっている人の作っているものだけをお客様に紹介したいんだよ』

中学のとき、クラスの奴らとバレンタインチョコの数を競っていたようなトオルがこんなことを言うようになるとは。ちょこっと格好よく見えたりして。俺の腹の中など関係なさそうに、トオルはガレットにかじりついている。

『このガレット、美味いな。サトルが作ったのか?』

『いや、これは近所の職人だ』

 

トオルは暫く食べかけのガレットを見つめていて

『女の子、こういうの好きかもしれないな。ホワイトデーにいいかも』

『ホワイトデーって、バレンタインもこれからだろ?』

『いやぁ、毎年会社の女の子たちがくれるんだよ。去年は32個だ。だから、今から準備しておかないと』

『自分のデパートでいくらでも用意できるだろうに』

『それじゃ、つまらんよ。女の子からさすが、バイヤー、素敵なお菓子屋さんご存知なんですね、って言われるのが楽しいんだぜ』

あー、やっぱり中学の頃のトオルは健在だったか。さっきのちょこっといい話は一体どうしたよ?

 

 

ガラガラと引き戸が鳴って、ヨシコが入ってくる。

『お疲れー。サトルちゃん、ホット』

『おう、いそがしそうだな』

『そうなのよ。だからコーヒーだけでいいわ』

『チョコ食えよ』

さっきトオルからもらったチョコをヨシコにも。

『うわ、何これ? すごくおいしい』

そりゃそうだろう。トオルの3年以上の思いがこもったチョコだからな。

 

そうだ、ヨシコのおにぎりをトオルにも食べさせたい。トオルになら、ヨシコの心意気が伝わるだろう、きっと。後でホテルに届けに行こうか。中味は何がいいだろう? そうだな、験を担いで『かつお』にしよう。さっきの話ぶりだときっと、今でも同僚とチョコの数を競い合っていることだろう。健闘を祈るぜ。

 

 

栞さんのボンボニエール 28

トモノリさんが経済新聞を読みながら、難しい顔をしている。コーヒーのおかわりはもう少し待っていた方がよさそうだ。ここで新聞を読むなんて、めずらしい。たいていはこの店が定期購読している猫ちゃんの雑誌を眺めて目尻を下げていることが多いのに。こういう表情を見ると、やっぱり経理課長さんなんだなぁ、と思う。

 

新聞をたたむと猫ちゃんのような伸びをして、言う。

『栞さん、きょうはハワイコナにしようかな。こう寒いと、気持ちだけでもハワイに近づけたくなるね』

『かしこまりました』

トモノリさんには定番のブレンドがあって、いつもそれを3杯ほど飲んでくれる。たまには気まぐれを起こしてストレートを選ぶこともある。

 

『休憩時間にうちの女性たちが、コンビニのシュークリームを食べながら、値段は変わらないのに前より小さくなったわよね、なんて言っててさ。おじさんみたいに経済新聞なんか読まなくても、ちゃんと流れをキャッチしているんだよね。やっぱり女性にはかなわないよ』

私も一応は女性なのよね。何と答えてよいものやら。

 

ハワイコナをトモノリさんお気に入りのサビ猫ちゃんを思わせる模様のカッブに注ぐ。そうだ、ボンボニエールの中にマカダミアナッツのチョコがあったわね。2つ取り出して、ソーサーに添える。

『あ、ありがとう。ハワイ感がアップするなぁ』

トモノリさんがチョコの包み紙を丸めながら言う。

『僕が若手の頃は、社員旅行がハワイだったよ。今じゃ難しいだろうな』

『あの頃って、そうよね。景気がよかったから。私にもハワイのお土産くれたわよね』

『え、そうだっけ?』

『ほら、白い猫ちゃんのキーホルダー』

『覚えてないなぁ』

 

トモノリさんがくれたキーホルダーはハワイのお土産なのに、コーヒーカップに入った白い猫ちゃんの形で『さすが無類の愛猫家だわ』と思った。よく見たら『日本製』と書かれていて、ちょっと笑ってしまった記憶がある。もちろん、トモノリさん本人には黙っていたけれど。その猫ちゃんキーホルダーには母のところと兄のところの鍵を付けていて、今でも現役だ。

 

 

『ねえ、栞さん。明日のランチタイムまでにガトーショコラ2ホール、予約できるかな?』

『大丈夫わよ』

『雪にもコンビニのシュークリームの小ささにも負けずに健闘してくれている、うちの課を労いたくなったよ』

そう言って、トモノリさんは本日3杯目のブレンドをひとくち飲んだ。領収書はいかが致しますか? なんて、野暮な質問はしないでおこう。

 

ティピカちゃんねる 23

皆様、ごきげんよう。ティピカです。寒さが一段と厳しくなってきました。どうぞ、くれぐれもご自愛くださいませ。降り積もる雪に歓声をあげているのは、雪遊びが大好きな子どもたちだけなのでしょうか。私のようなおじさん猫は寒さが増すような気がするので、どうも心の底から雪を喜んではいない、というのが正直なところではあります。

 

きょうも常連さんのルリコさんと私の相棒ジュンコがお喋りに花を咲かせています。

『街路樹の枝に積もった雪が白いお花みたいに見えてね、思わずシャッターを押したのよ』

ルリコさんは趣味でよくポラロイド写真を撮ります。そして、お気に入りのものをよく私たちにも見せてくれるのです。

『あら、素敵。こぶしの花みたいだわ』

おやおや、ジュンコは気が早いですね。こぶしは春の花ですよ。花言葉は『友情』だと聞いたことがあります。

 

ルリコさんは自分の作品を誰彼構わずに見せるタイプの人ではありません。なので、このように解説つきで自分の撮ったものを見せてくれるのはジュンコに友情を感じているから、ということなのだとお見受けしています。

『もう1枚あるのよ』

そう言って、また写真をジュンコに差し出します。私も拝見しましょう。

 

『吹きだまりのところが猫の形に似てたの。ほら、ここが耳、そして前足。ティピカもよく、こういう格好してるでしょ?』

『ニャー』

確かに、確かに。これは私たち猫が気分転換をするための仕種なのですよ。覗き込む私の頭をそっと撫でて、ルリコさんはカプチーノをひとくち飲みました。ふわふわのミルクが雪のようです。私の苦手なシナモンの匂いは、ルリコさんへの友情で我慢できますよ。

 

グラスを拭きながら、ジュンコが言います。

『ルリコさんの写真を見ていたら、雪遊びの楽しさを思い出した気がするわ』

『子どもの頃って、雪が待ち遠しかったわよね。大人になるとつい、雪の不便なところばかりに目が行きがちだけどね』

いや、まったくそのとおり。私も浮世絵にも見られるような雪見を楽しむ心をすっかり忘れていましたよ。江戸っ子たちなら『雪見酒』と洒落込むところでしょうか。善哉、善哉。

 

私の様子をじっと眺めていたルリコさんがふと、

『ティピカの顔を見ていたら、どうしてかしら? お善哉が食べたくなってしまったわ』

と言いました。ジュンコも

『寒さが隠し味になりそうね。私も小豆煮ようかしら』

などと言っています。小豆、いいですね。私も匂いが大好きなのです。ねだってひとくちぶんわけてもらいましょう。夕食が楽しみですね。小豆は寝て待て、といったところでしょうか。私はちょっとだけ寝ることにしましょう。

サトルさんとモンブラン 19

カラカラと引き戸が鳴る。

いつもの郵便配達の青年が1通の手紙を差し出しながら

『店長、後でまた寄りますからモンブラン、俺のぶんも取っておいてくださいね』

と言う。差出人はこの店のオーナー、マリコさんだった。

 

相変わらず、達筆だな。知り合いに陶芸を趣味にしている若い女性がいて、その作品がなかなかよい。だから、店の一角で展示会をして欲しいのだが、そちらの都合はどうか、という内容だ。カウンターの抽斗から、便箋とモンブランの万年筆を出す。この店のお客さんは近所のカルチャーセンターの生徒さんも多い。だから興味を持ってもらえるのではないか、という旨を綴る。

 

普通の会社なら、こういう遣り取りはメールか電話だろうに、何日もかけて県を超えて手紙が行き交う。効率の面から考えるとあり得ない。だけど、俺はこの流れが嫌いではない。マリコさんの手紙は便箋や封筒にも凝っていて、時には文香が同封されていることだってある。万年筆のインクなんかはわざわざ好みの色をオーダーしているらしい。漱石先生の小説によく登場する『高等遊民』とはこういう人なのだろうか、と俺は思っている。

 

 

ガラガラと引き戸が鳴る。

『おつかれー。サトルちゃん、ホット。それから、玉子サンドも』

ヨシコはダウンベストを椅子の背もたれに掛けて座る。ここまで来るのに100歩もかからないだろうに、重装備だな。

『きのうね、先生が来てくれたの。お孫さんと一緒に。サトルちゃんにもよろしくって』

『そうか。お孫さん、大きくなっただろ?』

『3年生だって。おむすび8個も食べてくれたわ』

お孫さんはヨシコのところのおにぎりが気に入っているらしく、先生の家に遊びにくると必ず『おにぎりのお店に行きたい』とせがむそうだ。

 

先生は俺たちの小学校の担任だった。作文に『女優になりたい』と書いたヨシコと『作家になりたい』と書いた俺をからかった同級生がいた。だけど、先生は

『サトルくんが書いた小説が映画になって、ヨシコさんが出演したら観に行くよ』

と励ましてくれた。定年退職した今でも時々、この店にコーヒーを飲みに来てくれている。

 

 

カルチャーセンターの後のお客さんたちが見え始める。この方たちはウクレレ教室の生徒さんだ。講座ごとに生徒さんたちのカラーが違っていて面白い。今頃だとカリグラフィーの講座の時間だろうか。多分、うちのお袋さんと同年代の白髪をきれいに纏めたお客さんが毎週寄ってくれている。そのお客さんはガトーショコラにブラジルが定番だ。いつも、食器まで褒めてくれるので、俺も選ぶ甲斐がある。マリコさんが企画している展示会も、楽しんでもらえるかもしれないな。さて、きょうはどのカップを用意しようか。