ことのはカフェ

カフェに纏わる由なしごとをそこはかとなく綴ります。

サトルさん 3

ミユキさんのところは、ヨシコのようにサンダルでふらり、と来られるという距離ではない。飛行機を使っても、おかしくはないぐらいだ。ここはいわゆる観光名所というわけではないし、何かのイベントが行われている時期でもない。それに、遠いところまでわざわざ会いに来てもらう程に親しい間柄ではない。ぐるぐる考えたあげく、自分ながら間の抜けた質問をしてしまう。

『ミユキさん、旅行か何かですか?』
『出張、と言ったらカッコいいキャリアウーマンに見えるかしら?』
いや、どう見てもキャリアウーマンという言葉は浮かんでこない。ニットのワンピースは高価なものではありそうだが、機能的とはいえないだろう。それにマカロンのような丸いバッグ。職業、年齢ともに不詳、という印象だろうか。

ミユキさんはカウンターのいちばん端の店中が見渡せる場所に座って、メニューを眺め始めた。
モンブランと…ケニアもあるのね。じゃあ、ケニアをポットでください』
そう言うと、マカロンのようなバッグから万年筆と学生が使うよりも小さなノートを取り出して、何か書き始めた。万年筆はモンブランのものだった。駄洒落が好きなのだろうか。

『きのうまでね、神奈川にいたんです。市場の近くのお店だからなのか、あまりゆっくりするお客さまは多くないみたいですね。こちらはどうですか?』
神奈川! 全国ツアーみたいだな。確か、他県にも20店舗ぐらいは持っていたはずだ。まさか、ひとつひとつ回っているのか?

『神奈川から、いらしたんですか? お疲れさまです。うちはゆっくり過ごしてくださる女性のお客さまが6割ぐらいですよ』
『なるほど。だから、ポットのコーヒーが豊富なんですね』
『近くに幼稚園があって、そのお母さんたちがよく来てくれるんですよ。あと、カルチャースクールの生徒さんたちも多いです』

ミユキさんはまた、ノートに何か書き込んだ。
そして、モンブランを口に運びながら何か考えているようだった。
『栗を使ったメニューが多いですね。このモンブランも美味しいです』
『この辺では、けっこう質のよい栗が育つんですよ。だから、自然とメニューにも使ってしまいますね』
『母も連れてきたらよかったです。栗が好物だから』
マリコさん、お元気ですか? ずいぶんご無沙汰しているけど』
『元気すぎるぐらいです。きょうお邪魔したのも、その母の元気が原因なんです』

マリコさんが、ふと新しい企画を思い着いたらしい。自分の店のいくつかで、万年筆やインク、手紙用品も扱いたいのだそうだ。若い女性が喫茶店でコーヒーを飲みながら、万年筆で手紙を書く姿に心を動かされたのだという。

それで、娘のミユキさんが各店舗を回って店の規模や客層に合わせた提案をして歩いているということだった。
『サトルさんのところなら、栗をテーマにした展開にしてみたいです』
『俺も、この辺で栗を扱っている皆を応援したい気持ちもあるから、そういう話なら是非のりたいです』

それにしても、メールでも済ませられそうな案件にわざわざ出向いてくるのだから、発想がビジネスではない。やっぱりマリコさんは高等遊民だと思って、間違いではないだろう。


雑誌を捲りながら、キリマンジャロを飲んでいたサワコさんが
『小銭がないから、これで払わせてね。お釣りはヨシコのコーヒー代の足しにして』
と一万円札を置いて帰っていった。


サワコさんの後ろ姿を見送ったミユキさんが
『きれいな方ですね。女優さんみたい。お知り合いですか?』
と、興味をあらわした。
『隣のおむすび屋のお姉さんなんですよ。ときどき店を手伝いに来るようです』

ミユキさんはまた、ノートに何か書き込んだ。