ことのはカフェ

カフェに纏わる由なしごとをそこはかとなく綴ります。

サトルさん 2

ヨシコが帰った後やや経って、サワコさんが入ってきた。長い髪をゆるやかに後ろで束ねて、袖を捲った白い麻のブラウスを着ている。
『サトルちゃん、こんにちは。おむすび、よかったら後で食べて』
砥部焼の皿には『おむすび』が3つ、きれいに並んでいた。サワコさんはさっきまでヨシコが座っていた椅子に座った。

『サワコさん、ご馳走さまです。俺、このおぼろ昆布のやつ、すごい好きなんです』
『そう、よかったわ。お皿はいつでもいいから、ヨシコに渡してね』

子どもの頃に親父から聞いた話だと、砥部焼は『喧嘩器』とも呼ばれているらしい。夫婦喧嘩で投げつけても壊れない程に頑丈だから、という理由だそうだ。幸い、両親は仲がよかったので、家では器が飛び交うことはなかったけれども。

ヨシコが『おむすび屋を始めるから、お店で使う食器を一緒に選んで欲しい』と言ったときに真っ先に、砥部焼のことを思い出した。これなら、大雑把なヨシコが少々ぶつけたぐらいでは壊れないだろうと思ったからだ。


『きょうは、キリマンジャロをいただこうかしら。私ね、サトルちゃんのところの煎り加減がいちばん好きだわ』
お世辞かもしれないけど、そう言われるとやっぱり嬉しいものだ。棚から淡い紫色のライラックが描かれたカップを選ぶ。

キリマンジャロです』
『ありがとう。あら、素敵なカップね。ライラック、かしら?』
『札幌の作家さんの作品なんですよ。札幌は今頃はこの花が咲き誇っているだろうな』
『私、札幌ってまだ1度も行ったことがないの。ライラックは有名よね。見てみたいわ』
『俺も、ないです』
『え、じゃあどうしてこの作家さんと?』
マリコさんのお友達みたいです』
マリコさんって、たしかこのお店の?』
『はい、オーナーです』
『前に、高等遊民みたいって言っていた方かしら?』

サワコさんは俺がずっと前に、マリコさんのことを冗談めかして『高等遊民みたいな人だ』と話したことまで憶えてくれていた。そして、キリマンジャロをひとくち飲むと
『やっぱり美味しい。ほっとするわ。これが目当てで、ヨシコの手伝いに来ているのかもね』
と、笑った。
『ほっとするのは、ホットコーヒーだからですよ』
と、照れ隠しにつまらない駄洒落を言う。そんなことまで、にこやかに聞いてくれている。俺もほっとするよ。

引き戸がからからと音を立てて、開く。そこに現れた人を見て、我が目を疑う。まさか、高等遊民の娘? 

『サトルさん、お久しぶりです』
『え、ミユキさん?』
ミユキさんは軽く会釈をして、にっこりと微笑んだ。