ことのはカフェ

カフェに纏わる由なしごとをそこはかとなく綴ります。

ルリコちゃん 2

マリコさんの淹れるカプチーノにはカップの表面ぎりぎりのところまで、ホイップしたクリームがのせられている。こぼさないようにそっと、シナモンスティックでかき混ぜる。ほのかな甘みにホッとする。私は秘かに『マリコスペシャル』と呼んでいた。

カップの中身が半分になったところで、バッグから便箋と万年筆を取り出す。ルリコさんにゆっくりと返事を書こう。

ルリコさんとは、アルバイトに行った百貨店で知り合った。自己紹介して同姓同名だと知り、それ以来、年齢の差を超えて親しくなった。まわりの人たちも最初はどう呼び分けるか戸惑っていたが、結局『新しい方をルリコちゃん、御姉様の方をルリコさんと呼ぶ』という方法に落ち着いた。


このあいだ、文房具屋さんの催しで万年筆の手入れをしてもらったので、書き味がなめらかだ。インクの出方もちょうどよい。この万年筆はパパのもので、ずいぶんと古いものだ。ずっと机の抽斗に仕舞ったままだったのを私が使うようになった。

インクはルリコさんと一緒に特別に作ったものだ。半年前、ルリコさんが息子さんに呼ばれてこの土地から離れるときに『私たちの友情の証に』と言って私たちの好みにあった瑠璃色のインクをオーダーして『ルリコ・ルリコ』と命名した。

ルリコさんは息子さんに呼ばれるまでは、ここでのひとり暮らしをとても楽しんでいた。特に、マリコさんのこの喫茶店を気に入っていて『私の書斎よ』と言っていた。

息子さんは『年寄りを独りにしておくのは心配だ』と言ったそうだけど、本当のところは息子さんの方が、ルリコさんにそばにいて欲しいと思っているようだった。ルリコさんははじめは渋っていたけれど、腹を括って『絶対に同居はしない』という条件つきで息子さんのそばに移り住むことに決めた。そして
『私が仕事ばかりであの子にあまり構ってあげられなかったから、罪ほろぼしだと思って、行ってくるわ』と、少し淋しそうに笑った。

息子さんのいる町は蕎麦の栽培と温泉が有名で、とても長閑なところだそうだ。私はそういう町で『ルリコさんのバラ色のヘアマニキュアが悪目立ちしないだろうか』とか『好きなアーティストはコンサートに訪れない町だけど』とか、ごちゃごちゃと余計な心配をしていた。だけど、ルリコさんはちゃんと新しい場所で新しい楽しみ方を見つけている。心配しているように見せかけて、そばにいて欲しかったのは、私も息子さんと同じだったみたい。

『あら、素敵な万年筆。それ、銀ね。インクもきれいな色だわ』
マリコさんが言う。一目で銀だと言い当てるのは、流石だと思う。
『これ、父のを黙って借りちゃってるの。インクはルリコさんと一緒にオーダーしたお揃いなの』
『まあ、お父さまのを? これ、あげるからたいせつに使ってあげないと』
そう言って、マリコさんは抽斗から銀を磨くクロスを出してくれた。
『瑠璃色のインクね。あなたたちらしくて、素敵だわ。前にうちの店に筆記具メーカーの営業さんがよく来ていたけど、その方もいつも指にいろんな色のインクをつけていたわ。最近、お見かけしないけど、お元気かしら』

テーブル席のお客さんが、マリコさんを呼んでいる。
『ちょっと、ごめんなさいね。ルリコちゃん、ルリコさんによろしくね』

マリコスペシャルの続きを飲みながら、ルリコさんに知らせたい話をあれこれと思い浮かべていた。ルリコさんも今ごろは、猫ちゃんのいるお店でコーヒーを飲んでいるのだろうか。