ことのはカフェ

カフェに纏わる由なしごとをそこはかとなく綴ります。

ティピカちゃんねる 1

皆様、ごきげんよう。私の名前はティピカと申します。人間と暮らして10年以上が経ち、今ではどうにか人の言葉も理解できるようになりました。

相棒のふとした気紛れで、住み慣れた土地から
蕎麦の名産地である、この町に移り住むようになりました。私の相棒のジュンコは、この町で私と同じ名前の喫茶店を営んでおります。

この町に住むまでジュンコは毎朝、地下鉄で会社に通っていましたが、今は喫茶店の2階が私たちの住居になっています。そのためか、この町に来てから私の朝食は、わずかばかり豊かになったように思えます。きょうは初がつおの粗く刻んだものが添えられていて、春の訪れを感じました。

それに、以前よりもよく話すようになりました。ただ、こちらの言っていることをむこうがどれほど理解しているのかは、甚だ疑問に思うところではありますが。我々が人間の言葉を理解するように、人間も猫の言葉を理解したならば、人間の心にもっと余裕がうまれるのではないか、という気がするのは私だけではないようです。

足音が聞こえて来ます。あれはお蕎麦屋さんの奥さんです。いつも私の好きな煮干しや鰹の匂いを奥ゆかしく、身に纏っているお洒落さんなのです。おはようを言いに行きましょう。

ジュンコ、お蕎麦屋さんの奥さんが来るよ。早く降りて鍵を開けようよ。
『なぁに? ティピカ、かつおのおかわりが欲しいの? 美味しかったのね。残念だけど、また買いに行かないとないのよ』
違うよ。かつおはおいしかったけど、僕は高校生の男の子じゃないよ。そんなにたくさんは食べないよ。
『はいはい、ごめんね。また買ってあげるからね』
と、こんなこともあるのですね。

ジュンコは髪のお団子の位置が気に入らないらしく、何度もやりなおしています。仕方がないから先に降りていましょう。

奥さんはもう、店の前に立っています。もう少し待っていてくださいね。私に気づくと
身をかがめて
『ティピちゃん、おはようさん。きょうも男前だねぇ』
と、嬉しいことを言ってくれます。奥さんもきょうも素敵ですよ。ジュンコはもうすぐ降りてきますから、もう少しお待ちくださいね。

階段を降りながら、ジュンコはようやく奥さんに気づいたようで
『あら、おばさん早いのね。どうしたのかしら?』

ようやく、鍵が開いて私は奥さんと存分に朝の挨拶ができます。きょうも芳しいですね。
『ジュンちゃん、開店前なのに悪いわね。うちのひとが、山菜採りに出かけるのに、いつもより早く起きたのよ』

奥さんがいつもの席に座ったので、私は奥さんの隣の椅子に座ることにします。ジュンコがゆっくりと、コーヒー豆を挽き始めます。私はこの音がとても好きなのです。この音を聞きたくて店に
ついてくるうちに、お客さんたちとも自然とお馴染みになりました。

『あら、ジュンちゃん、ティピちゃんのしっぽがミルの音に合わせてリズムを取っているみたいよ』
さすがは奥さん! よくわかってくれています。お礼に私のゴロゴロを、お聴きください。
『そうなの。電動のミルの方が早いけど、この子、昔からこの音が好きなものだから聴かせてあげたくて』
ジュンコがそんなふうに思っていたとは、初めて知りました。

『うちのひとったら、たまの休みぐらいゆっくりするといいのに、山菜採りの後は焼き物の職人さんのところに行くんだって。つゆをもっと引き立てる蕎麦猪口を作りたいって』
『おじさん、本当にお店のことが1番なのよね。山菜採りだって、お客さんに食べてもらいたいからでしょ? 頭が下がるわ』
『じっとしていられないなんて、マグロみたいだね。まぁ、元気だから動き回れるということかね。ねぇ、ティピちゃん』

今の奥さんの言葉は、私の耳にはそんなおじさんのことがとても好きなのだと聞こえましたよ。おじさんは若い頃に友達とバイクでこの町に遊びに来て、偶然立ち寄った蕎麦屋の味と一人娘に惚れ込んで婿入りしたのだと、お客さんから聞いたことがあります。

ジュンコがこの町に住むことになったのも、汽車の窓から見た蕎麦の畑に咲いている蕎麦の花に心惹かれたからのようです。どこに住もうとジュンコが幸せなら、私も嬉しいのです。

いつもは深煎りモカを1杯飲んで、お店に戻ってしまう奥さんですが、きょうはお店がお休みなので、ゆっくりと2杯目を楽しんでくれています。口数の少なかったジュンコが、この町に来てからは楽しそうに話をするようになったのは、奥さんのおかげもあると私は思っています。

ジュンコの相手は暫くのあいだ奥さんにおまかせして、私はちょっとだけ寝ることにしましょう。