ことのはカフェ

カフェに纏わる由なしごとをそこはかとなく綴ります。

トモノリさん 4

玉子サンドの2つ目を取ると、猫の手が見えた。若手の陶芸家の絵皿『猫の手も借りたい』シリーズの1枚だ。この皿は12枚の連作になっているのだ、と栞さんが言っていた。

カラン、コロンとまた、ドアベルが鳴る。
ハッとして、そちらに目を向ける。配達の青年が栞さんに小さな段ボール箱を渡している。

来る筈がない。それなのに、ドアベルが鳴ると、やっぱりあの招き猫ポーズを探してしまう。


その日、ジュンコさんは30分程遅れて、店に来た。会社にいるときのような厳しい顔だった。いつもは目が合うと微笑んで、招き猫ポーズをするのがお決まりだった。

『よいしょ』
と言って、ジュンコさんは山さんの隣に腰を下ろした。そして、山さんのシャツの袖をそっとつまんで、暫くは話し出そうとしなかった。山さんに促されて、ジュンコさんはようやく口を開いた。
『トモノリ、あなたにこの猫くらぶ部長の座を託します』

そう言うと、私の前にリボンの掛かった小さな箱を差し出した。開けると中には銀のネクタイピンが入っていた。ネクタイピンの端には猫が行儀よく座っていた。

『ジュンちゃん、会社辞めることになった』
私は咄嗟に言葉が見つからなかった。
『家業を継ぐことになったの』
そう言って、ジュンコさんは額をサッと撫でた。
これは動揺している時によく見せる仕草だった。猫の毛づくろいみたいだ、いつもそう思っていた。

ジュンコさんは辞めることについて、それ以上は、何も言ってくれなかった。猫くらぶで親しくなって5年近くが経つが、家業の話など聞いたことはなかった。

『付けて見せてあげなさい』
山さんに言われて、私はネクタイピンを付けてみた。
『似合うじゃない』
ジュンコさんはようやく、猫くらぶ限定の笑顔を見せた。

そして、いつもどおり『家のティピカちゃん』の写真をテーブルに広げた。
『少し、太ったようだな。家のティアラも最近、やたらと食べているよ。猫にも食欲の秋があるのかもしれないな』
山さんはブルーマウンテンにミルクを入れた。

楽しい筈の猫自慢がその日は遠くから聞こえてくるように思えた。そして、いつもなら気にならないカウンターの作業の音がやたらと気になった。


ジュンコさんが辞めた後も、2人きりの『猫くらぶ』は細々と活動していた。

『そんなに笑う必要あるかなぁ』
『だってお前さん、猫くらぶの部長ともあろう者が犬を飼い始めるっていうのはだな』
『嫁さんが、どうしても犬が飼いたいって言うから』
『早速、尻に敷かれているようだな』
『そんなこと、ないよ』
肩を落とす私に、山さんは笑いを堪えながら言った。
『まあ、元気だせ。何でも好きな物を食え。今日は俺の奢りだ』
とは言うものの、この店で私が支払ったことは1度もなかった。だけど、その日は山さんのこの言葉が妙に嬉しかった。
『じゃあ、玉子サンド』

2人きりの『猫くらぶ』は山さんが定年退職するまで続いた。


栞さんが水を注ぎに来てくれた。
『何だか雨になりそうね』

そうだ、雨が降る前にドラッグストアに寄って、犬のドライフードを買って帰ろう。妻が持つには少し重たいだろうから。

玉子サンドを食べおわると、仰向けになって伸びをしている三毛猫があらわれた。ずっと、こういう猫と暮らしたいと思っていた。その私が、これからドッグフードを買いに行こうとしているのだから、我ながら面白いものだ。山さんの笑い声が聞こえてくるようだ。

『ご馳走さま、あの皿、いいね』
栞さんはにっこりとして、お釣りと経理課・猫くらぶ宛ての領収書をくれた。