ことのはカフェ

カフェに纏わる由なしごとをそこはかとなく綴ります。

余白とは

ときどきストレートコーヒーが飲みたいときに行くカウンター席だけの喫茶店があります。

カウンターの中では女性のスタッフさんがコーヒーを淹れながら常連さんの話に相槌を打っています。

カウンターの後ろの棚にはお店オリジナルの白いカップとソーサーが整然と並べられているのですが、その棚の端の方に有田焼と思われる金襴手の煌びやかなコーヒー茶碗もいくつかあります。

知る限りでは、その金襴手のお茶碗でコーヒーを飲んでいるお客さんを見たことがないような気がします。普段は滅多に入荷しない特別なお豆にだけ使われたりするのでしょうか。


年齢を重ねるに従って、華やかな恰好をするとよい、と言うひとがいます。食器にも同じことが当て嵌まるものなのか、この頃は豪華絢爛な文様がほどこされた様式の有田焼にも魅力を感じます。

若い頃は素っ気ない程シンプルなものが好きでしたので、同じ有田のものでも染付のものばかり選んでいました。そこから段々と柿右衛門窯のものを横目で眺めるようにもなり、いつかは金襴手のカップもひとつぐらいは…と思いはじめています。

柿右衛門様式では『余白』というものがとても重要なのだそうですね。以前、インタビューの中で十四代柿右衛門さんが
『余白というのは単純に余った白い場所じゃないと思う』
というようなことをおっしゃっていて、その言葉がずっと印象に残っています。

美味しいトラジャを注文しながら、お腹の中にも『余白』があった方がコーヒーを楽しくいただけそうだなぁ、などと考えるのもよいかもしれません。